現在どのようなことをされているのでしょうか?
中村洋一郎です。
現在OPEN Laboratoryという会社のCEOとして、3つの業務に取り組んでいます。まずはビームス・ニューヨークのプロジェクトマネジメントです。ほぼビームスの社員のような形で業務に携わっていますが、ビームスの日本のバイヤーがニューヨークやパリに買い付けに行くアテンドをしたり、商品をオーダーする時の通訳兼コミュニケーションをサポートしたりしています。またビームスのオリジナル商品をパリの展示会に出して現地で営業したり、ニューヨークで期間限定のポップアップストアの物件探しから契約交渉、設営の手配、商品の手配、スタッフの採用をしたりしています。
2つ目としては、ニューヨークにある日系の不動産会社に向けてコンサルティングをしています。私は元々日本でシステムコンサルをしていたので、システム導入や業務効率化のプロセス改善のコンサルをしています。
そして3つ目は、元同僚が作った日本にある会社の組織改善や地域貢献活動の立案、実行、サポートをしています。これら3つの業務割合は、4割、5割、1割というイメージです。
元々は栄養療法を企業向けにやる会社として事業をスタートしました。日本で仕事をしていた時に仕事をしすぎて、ストレスもひどく、体調を崩して心身ともに疲れたことがありました。その後バブソンMBAに留学したのですが、その時も同じように相当辛かったです。ただ、バブソン卒業後ニューヨークに来た頃から食事を変えました。当時はまだ日本ではグルテンフリーの言葉すらなかった時ですが、グルテンフリーを試したところ体調が良くなったのです。頭は冴えるし、倦怠感もなくなりました。そこで、栄養療法を健康のためというよりも、仕事のパフォーマンスを上げる目的で実践したい人は世の中にいるだろうと思いました。実際私がそうだったので、これを企業向けにやろうと考えたのが起業の経緯です。その時はニューヨークのシステム会社で働いていましたが、週5日勤務を半分に減らしてもらって、残りの半分を栄養療法の資格を取るための時間にしました。民間資格の認定コースをオンラインで受講し、1年ほど勉強しました。途中合宿のように数日フィジカルに集まって受ける講習もありました。そこでどっぷり栄養療法に浸かって、人の体の仕組みや栄養素の働き、なぜ糖尿病が起きるか、心臓病が起きるか、病気と食べ物の関係などを学びました。
そして学んだものをベースにして、企業向けの健康推進サービスを立ち上げてニューヨークの日系企業やローカル企業、日本の日本企業に営業を始めました。ニューヨークから東京に出張で行き、「ニューヨークからやってきた栄養療法士です」と言うと有り難がってくれました。完全に手探りでやっていましたが、昔のツテもあってDeNAや寺田倉庫などからも仕事を頂きました。
ただ、途中からこの栄養療法サービス自体に疑問を持ち始めたのです。というのも、私が学んだ知識をお客さんに押し付けてしまうことが多いと感じ始めたからです。お客さんが私に助けを求めにきて体調を良くしたいと思っているのに、そんな食事をしていたらダメに決まっているでしょう、といった受け答えをしてしまっていました。正論を語りすぎて相手をへこましてしまうなど、減点主義的なカウンセリングをしていました。本当は人を助けるために始めたはずなのに、お客さんは元気になっていきませんでした。さらにもう一つのジレンマに突き当たりました。それが、自分の事業を伸ばすためには、世の中には不健康な人が多い方がいいということです。カンセリングしている相手が元気になると、私のサービスを止めてしまいます。私としては止めてほしくないので、知識を小出しに出していった方が良いのではといった姑息なメンタリティーが芽生えてくることを感じてモチベーションが下がりました。そんな葛藤があった時にコロナが来ました。色々なものがゼロクリアになっている時期だったので、このまま栄養療法を続けていくのは嫌だと思って止めました。その時にちょうどビームスの仕話が舞い込んできたのでした。
食事療法をやっていましたが、食事療法は突き詰めていくと食べ物に行き着きます。そして食べ物を突き詰めていくと、土や水、太陽に行き着きます。その中の一部に蜂という存在があります。蜂が受粉しないと食べ物ができないのです。その蜂が今絶滅の危機にあることは聞いていました。そのため養蜂はニューヨークをはじめアメリカで取り組む人は多いのです。友人から養蜂をやらないかと誘われたので、ハチミツを販売するつもりはありませんでしたが、世の中の蜂が1匹でも増えるならと思ってコロナ前に養蜂するグループに入りました。その後しばらくして、当時ビームスのニューヨークの代表をやっていた方がそのグループに入ってきました。グループでは参加者は特に仕事の話はせずに蜂のお世話をしていたのですが、その方が退職する時にビームスの仕事に興味がないかと私に声をかけてくださいました。私は洋服はどちらかといえば好きだったこともあり、楽しそうだから興味ありますと言ったところ、その方が日本本社に推薦してくれて仕事が始まりました。今では仕事の半分ほどをビームスの仕事が占めるほどになりました。
どういうきっかけでニューヨークに来られたのですか?
話は遡りますが、大学4年生の時に就職することに違和感があったので就職せずに留学することにしました。ニューヨークやロサンゼルスのような、いわゆる大都市に行くよりも、超リアルなアメリカを知りたいと思って、ミズーリ州にあるセントルイス大学を選びました。ただ、あまり楽しめませんでした。英語を話せなかったこともありますし、セカンドバチェラーとして留学したので3年生からの入学だったため友達を作ることに苦労しました。コンサバティブな街ということもあり、人種差別的な経験も多かったです。当時は肩肘張っていたので、日本人とは友達にはならないと考えていたのですが、かといってノンジャパニーズの友達もできず、街は楽しくなかったこともあり辛い2年間を送って逃げるようにして日本に帰りました。
帰国してからは周回遅れの就職活動をして、NTTデータで働くことになりました。システム導入のためのオペレーションやシステムを使う人の業務設計デザインをやっていました。その後リアルコムというソフトウェアベンチャー企業に転職し、ソフトウェアの導入コンサルティングや組織デザイン、働き方改革の組織向けコンサルティングを続けていました。
2社を通じてコンサルとして生きていくことが性に合っていたので、コンサルタントとしての知識を深めたいと思い始めたのと、就職前に楽しめなかったアメリカにもう1度挑戦したいという気持ちが湧いてきて、MBA留学することにしました。上司もアメリカにMBA留学していましたし、コンサルではMBAでアメリカに行くことは珍しい話でもなかったので、MBA留学を社内で話したら応援してくれました。
当時付き合っていた人で現在の妻がその頃ニューヨークに移住したこともあり、ニューヨークの街を見てミズーリとは違うアメリカがあることを知ったのも後押しになりました。2年間の学費と生活費を払う余裕はなかったので、1年制MBAを探していたところ、バブソンを受験することにしました。何かを始める人、何かの事を起こす人を育てるというバブソンの考えを知り、そういう気概を持った人たちが集まる学校は面白いと思って受験することにしました。とはいえバブソンに申し込もうとした時には既に受付期間は終了していました。試しに学校に連絡したら、1週間以内に申し込んだら見てあげると言ってもらい、そこから1週間で必死に書き上げました。奇跡的に入学できたと思います。
卒業後のことは特に決めていなかったのですが、彼女がニューヨークで仕事を始めたこともあり、バブソンを卒業してとりあえずニューヨークに行って、彼女のところに転がり込んだという形です。そこから仕事を探し始めました。たまたまリンクトインでSnagFilmという、ムービーやドキュメンタリーに特化したオンライン動画の会社を見つけました。この会社のエグゼクティブがバブソン卒業生だったので、連絡したらインターンとして雇ってくれました。
どのように起業されたのですか?
SnagFilmでは2カ月ほどインターンをしていましたが、それと並行してニューヨークにある日系のシステム会社でもインターンをしました。その間にフルタイムの仕事を探していたところ、野村総研のアメリカ支社のコンサル部門で採用が決まり、そこで働くことにしました。ただリサーチャーとしての仕事が全く向いていなかったため、実はすぐに辞めてしまいました。労働ビザの更新期限が迫っていたので困っていたのですが、インターンをしていた日系のシステム会社が「うちで仕事していいよ」と言ってくれたので、再びそちらに戻りました。アメリカにある日系企業向けのシステムコンサルティング、ネットワークサービスがメイン業務でした。結局そこで3年間働きました。
その間にグリーンカードが当たったのです。当時の当選確率は1%ぐらいだと言われています。グリーンカードが取れたこともあって、OPEN Laboratoryをニューヨークで作りました。
ニューヨークでサバイブする秘訣はなんでしょうか?
私は、いざという時にツイてるという自信があるのだと思います。最初にNTTデータに入社した時も日本に戻って来て就活をして1、2カ月で入ることができましたし、リアルコムもスタートアップでは難関で、エージェントに「この会社を受けても基本的に皆さん落ちるので期待しないでください」と言われたのですが入社できました。
バブソンも受付を締め切った後に合格をもらえましたし、グリーンカードも当たりました。意外と追い込まれた時になんとかなる運を持っているとどこかで思っているのだと思います。自分で根拠のない自信があるので、それに助けられています。本当にお金がない時期もあり、とてもしんどかったですが、多分どこかでなんとかなると思っていました。その上でツキを逃さないように行動していたのだと思います。例えばグリーンカードも抽選に当たりましたが、そもそもグリーンカードが欲しいと思っても応募しない人は多いです。バブソンに入学できたのも、締め切りが過ぎているのにダメ元で連絡しました。ビームスの仕事もきっかけは儲けにつながらない養蜂を始めたことでした。好機はフラッとやってくるものです。しかもやって来た時は好機が好機に見えないものです。行動することが好機をつかむ近道なのかもしれません。
もう一つは、ニューヨークという街がこの訳の分からない日本人を快く受け入れてくれたということもあると思います。子供が生まれたこともありますが、カフェに行っても公園に行っても、みんなとても優しいのです。英語も今だにきちんと話せないし、訳の分からない日本人がひょっこり自分たちの街にやって来て、彼らの職を1つは奪うわけなのに、なぜこんなに良くしてくれるのだろうと驚いたのです。もしかしたらニューヨークは色々な人がいることが、この街を面白くしているからなのかもしれません。
ですので、この町にせっかく受け入れてもらったので、私がこの街を更に面白くすることを少しは手伝いたいなと思っています。そこで、現在はビームスという会社の力を借りて、日本の良いものをここに持ってくる仕事に携われていることにはやりがいを感じます。ニューヨークという街に新しい価値を持って来ているという自負があるので、これからも続けていきたいです。
一方で、ニューヨークに面白いものがあっても、日本にはまだ行き届いていないものもあるので、これからはそちら側をやりたいと思っています。ニューヨークの面白いものを日本に持っていくことで、ニューヨークの人たちだけだったら多分実行できない、思いもつかなかったようなお金の稼ぎ方を彼らに提案でき、実現できると思っています。ニューヨークと東京をつないで、ニューヨークの人に還元できるようなビジネスを作りたいなと思っています。自分の東京でのネットワークを使って、ニューヨークのローカルの小さなお店のビジネスをちょっとでも日本で拡げることができたらいいなと思います。私が毎日行っているお肉屋さんやハードウェアストアなどをイメージしています。自分が日常的に使っている大好きなお店などです。よく行っているのでお店とは自然と顔見知りになっています。ビームスの仕事も一部関わってもらっています。そういう人たちのビジネスが大きくなるのを助けながら、自分の会社も成長できるようなことを目指していきたいと思います。
今の私のスタイルは、高い目標を掲げてそれに向かって邁進する起業家とは違います。私も当初はそのタイプだったのですが、いつしかその生き方から少し距離を取って、もう少し余白を楽しむようになりました。その結果が今の行き当たりばったりのような人生になっています。ただ結果としてこちらの方が人生の幅が広がっていると思っています。
如何だったでしょうか。本サイトでは、「私も一歩踏み出してみよう」と思える。挑戦者の行動を後押しする記事をご紹介しています。
次回の記事もお楽しみに!
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