サッカーでハーバード大学に⁉学問とスポーツの最高峰で挑み続けたものとは

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まず、自己紹介からお願いします。

はい、藤原馨(ふじわら・かおる)です。愛知県出身で11歳の時にアメリカに移住し、その後10年以上をアメリカで過ごしました。現在はハーバード大学の4年生で、卒業を控えています(取材当時)。サッカーとの出会いは、2006年、私が5歳の時にドイツで開催されたワールドカップでした。イタリアが優勝し、ジダンの頭突きが話題になった大会です。ある夜、目が覚めてリビングを通りかかると、サッカー好きの父が試合を観ていて、その試合を見ているうちに、サッカーに興味を持ち、父に勧められて地元のクラブチームで遊び感覚で始めました。

 

11歳からボストンに来て、どのような学校生活でしたか?

中学1年生と2年生の2年間はかなり過酷でした。英語が話せないことが大きな障壁でしたね。自分の言いたいことが言えなかったり、相手の言っていることが分からなかったりして、戸惑いがありました。体が反応してしまい、朝起きると腹痛になることもありました。でも、両親が毎朝起こしてくれて、学校に行くように促してくれたんです。それは大きかったですね。日本ではコミュニケーションを取ることは問題なかったのに、アメリカに来てからは環境が全然違って大変でした。最初の2年間は特に大変で、思い出したくないこともあります。でも、その後は英語に苦労することはなくなり、中学3年生になると、少しずつ自分の言いたいことが言えるようになり、友達もできて、コミュニケーションが取れるようになりました。そのおかげで英語力もどんどん上がっていきました。3年生のときは、何か分かるな、聞こえるなって、変わった感じがしました。

 

どのようにサッカーを続けていたのですか?

サッカーに関しては中学校の1年生と2年生は、GPS(Global Premier Soccer)というマサチューセッツ州の地元のクラブチームでプレーしていました。2年生の時には、NPL(National Premier League)という全米リーグで、全米優勝を果たしました。その後に、地元のプロサッカークラブのレボリューションのアカデミーからオファーを受けて、中学3年生からユースまで本格的にそこでプレーし始めました。

 

本格的にサッカーに打ち込んでいた中で、ハーバードに入るきっかけは?

アメリカに来て1年目に参加したサッカーキャンプで、僕と弟が参加して日本人としてやっているのがかなり珍しくて、注目されたんです。そのキャンプで、1人のコーチから名刺をもらい、その後、そのコーチの弟さんが指導をしているチームのトライアウトに参加したんです。結局、そのチームには入らず、地元のクラブチームやレボリューションのアカデミーでプレーを続けて、ジュニア(高校3年生)の終わりからシニア(高校4年生)の始めくらいの夏に、地域の上手い子たちが集まるサッカープログラムに参加したんです。それで、そのプログラムに、ハーバードのアシスタントコーチが来ていて、実は、そのハーバードのアシスタントコーチというのが、5,6年前のサッカーキャンプのコーチの弟さんだったんです。彼は僕の小さい頃のことをよく覚えていて、そこから話し始めたのがきっかけでハーバードに入学しました。なんかドラマチックだなと。ただ、高校2年生の夏(17歳)の時に、ハーバードのアシスタントコーチから声をかけられるまでは、サッカーを引退して日本の大学に進学するつもりでした。

 

ハーバード大学のコーチと会うまでは日本の大学に進学するつもりだったんですね。

そうですね、東京の国公立や私立の有名な大学に入れたらいいなと思っていましたが、当時は具体的な計画は、まだありませんでした。日本の大学に入ったら、サッカーはサークルくらいでいいかなと思っていて、大学で新しいことを始めるつもりでした。私も親もサッカーでアメリカの大学に入るという選択肢があることを全く知りませんでしたし、そもそも、自分たちにそういう機会があることを全く知らなかったんです。ハーバードのリクルートメントが始まった時、大学サッカーができるかもしれないという気持ちが芽生えて、それで、話していくうちにアシスタントコーチの熱意を感じ、欲しいと言われたり、入学までのアドバイスをもらったりする過程が嬉しくて、頑張ればハーバードに入れるかもしれないと思うようになりました。

サッカーでハーバード大学に⁉学問とスポーツの最高峰で挑み続けたものとは

 

ハーバードの受験に向けて、どのような準備をしましたか?

アシスタントコーチからは、1つは英語力を上げることでした。会話はできるけどアカデミックな英語がまだ出来てなくて。あとは成績を上げること、GPAを3.3以上までにあげるようにと。そしてSATのスコアを上げることが求められ、私の場合は、すべての点数を上げる必要があると言われました。確かに、一般的な応募者と比べて、学生アスリート(Student Athlete)としては、少しリクワイアメントが低いですが、それでも高いスコアがあれば入学しやすいと言われました。アシスタントコーチからは、いつまでに何を準備するべきか、期限までに全ての準備を整えるようにと。それで、結果的に合格はシニアの12月に決まりました。合格した時は、家族全員が驚いて、泣いてましたね。私たちはまさか現実になるとは、合格するとは思っていなかったので、本当に感動しました。

 

ハーバードでの4年間を振り返ってみて、どう感じますか?

多くの成長ができたと感じた4年間でした。1年目はコロナの影響もありましたが、色んな人と話して深い関係を築くことができましたし、2年目からはサッカーシーズンが始まり、コーチやチームメイトとも話ができて関係を通じて成長できました。上級生になってからは、後輩との関係をどう築き、チームを良い方向に導くことを考えながら行動しました。自分も成長し相手に教えられるという意味で成長できたと思います。

 

サッカーにおいて、特に苦しかったり楽しかったりした時期はありましたか?

3年生の時に、自分がなかなか試合に出られない時期がありました。自分はうまくやっている、活躍していると思っていましたが、コーチの価値観と少し異なり、自分が正しいと思っているプレーでもコーチ陣と食い違いや価値観の違いがあり、少しふてくされて試合に使ってもらえなくて、その時期は辛く苦労しました。しかし、チームメイトで試合に出られない人のサポートを受けたり、コーチや選手との話し合いを通じたりして、なるべく自分のポジションを改善する努力をして、少しずつ試合に出られるようになりました。その時は、すでにプロになる熱意はなかったんですけど、いかにチームでうまくやっていけるか、どういう人間関係を構築するか、結構、壁だった物が超えられたかなと思います。そこが何か自分の中で変化みたいな感じがあったと思います。今後、必ずしも気が合う人たちと仕事をするわけではないと思うので、それをどう自分と照らし合わせながら、上手く価値観をすり合わせていって、自分が良いところに持っていけるかっていうのがやっぱ大事なんだなっていうのをすごく感じました。

 

チームの中で、プロを目指す選手がいたのでしょうか?

ちらほらいました。けど他の大学と比べて少ないと思います。私の代では、プロを目指す選手は、あまりいませんでしたが、僕らの次の代には、そういう意識を持つ選手がいて、そこでの言い争いというか、下級生がもっとこうしたいという要求に対して、上級生の僕らが、サッカー以外のライフがあるからもう少し考慮しないといけないという、ぶつかり合いはありましたね。プロを目指す意識の下級生は、コーチがいる練習時間以外もチーム練習をしようと主張するけど、僕らはサッカー以外にも人と会うことや勉強なども必要だというようなことですね。

 

サッカーでハーバード大学に⁉学問とスポーツの最高峰で挑み続けたものとは

 

両者の主張は理解できます。実際に、ハーバードのサッカー部と勉強のバランスはどうでしたか?

シーズン中は、午前中から午後3時ごろまで授業があって、授業が終わるとキャンパスから少し離れたアスレチック施設に移動して、4時半から6時半または7時まで練習します。その後、寮に戻って夕食をとり、勉強して寝るという生活です。シーズン中は忙しいので、夜にできるだけ予習復習を行い、タイムマネジメントは培われたなと思います。オフシーズンは練習が毎日ではなくなり、練習の時間帯も変わります。授業は同じですが、夕方に自由時間ができ、夜に練習が入ることもあって、その後にまた勉強をします。自由な時間が2つできるイメージですね。

 

どのタイミングで将来について考え始めましたか?

僕は2年生の春ですね。2年生の春にもしサッカーの道に行かないんだったらどうしたいんだろうっていうのを考え始めて、でも今もですけど、正直どうしたいか分からないんです。自分が何をしたいかっていうのはまだ明確には出てないですし、ぼやっとは出てきてるんですけど、こういうことしたい、これがしたいっていうのは全然決まってなくて。2年生からですけど、日本に帰りたい、日本のために何か貢献したいなって考えたときに、僕はやっぱ政治的な仕事には入っていけないなっていうのを思ってたので、ビジネスの面に進みたいなっていうのは漠然的にあって、2年生と3年生のタイミングで、日本でインターンシップをする機会とアメリカでもインターンシップをする機会があって、その経験で僕はビジネス関連で仕事をやったら、何か自分の中でやりたいことが見つかるんじゃないかなっていう、すごく具体的ではない形で仕事っていうか将来を考えていたんですね。

 

どのようなインターンシップを経験して、今後の就職の予定は?

2年生の時の日本では、ベンチャーキャピタル関連の仕事を経験しました。3年生の時はアメリカで金融系のコンサルティングのインターンシップをしました。卒業後に就職する会社は米国の金融コンサルティング業界で、この先、日本でも新しい会社やアイディアが多く出てくると思っていて、お金を適切に管理しなければ、それらは会社としてうまく機能しないと思うので、そのためにお金や金融についてもっと学びたいと考えています。

 

日本人の学生が米国で就職することは難しい面もあるかと思いますが、どのように就職活動をしたのですか?

一番大切なのは、とにかくいろんな人と話すことですかね。ハーバードに入るときもそうでしたが、僕はアメリカに来た当初は何も知らない中で、たまたま小さい頃に見てくれたコーチが大きな機会を与えてくれ、それを掴みました。就職活動でも、ハーバードでサッカーをしていたアルムナイとの繋がりからインターンシップを得ることができました。色んな人と話すことで、どこからチャンスが舞い降りてくるかわからないと感じていて、一つ一つの出会いを大切にすることが重要だと思います。やっぱり、チャンスをいただける人って、すごい数少ないと思うんですけど、その数少ないチャンスでも、敵って言い方はおかしいかもしれないですけど、違う人たちが同じチャンスをつかもうとしている中で、どれだけ自分とその人たちの違いを作れるかっていうのはすごく大事で、でも、それはもちろん人にもよると思うんすけど、日本人はすごいそういうところはしっかりしてるなっていうのをすごい感じていて、努力は必ずできると思ってるし、みんなやはり勤勉だと思います。どれだけ態度で違いを見せられるかとか、自分ができることで違いを見せるかっていうので、変わってくるなと僕は思います。誠意を持って仕事に取り組み、相手のことを思って接することが大切だと思います。相手の気持ちを考えながら、自分の意思をしっかりと示し、信頼を得ることが重要だと思います。インターンの時は、勤務時間を早めにしたり、退社時間を遅めにするなど、小さなことでも信頼を得るために心がけていましたね。めちゃくちゃ体育会的な考え方ですけどね(笑)

 

11歳でボストンに来て現在22歳です。日本とアメリカでの生活が半々になりましたが、今はどんなタイミングだと感じていますか?

私にとっては、非常に区切りの良い転換期ですね。11年間日本で過ごし、11年間アメリカで過ごしたことで、次のステージへと進む絶好のタイミングだと思っています。これから社会人として新たなステージに入る中で、理想の自分になるための模索する時期だと思っていて、また、新たな自分探しの旅みたいな、そんな感じですね。これまでは、受け身の姿勢だったのですが、これからは自分から積極的に動いていく必要があると感じています。どれだけ自分でアクションを起こし、やりたいことを見つけながら、他人を巻き込んでやっていけるか、それが自分のこの先の未来像ですね。ハーバードで一番学んだことは、コミュニケーション能力です。日常的に異なる国の人々との日常的な対話を通じて、価値観の違いや衝突があるんですけど、どうやってそれをうまく分析して、お互いに納得できる回答を出せるかは、ここで培われたなと思っています。

 

馨さんにとって、挑戦とは?

(笑)何かの番組みたいですね。自分にとっての挑戦。そうですね、積極性を持って自分主導で動けるかどうかが、今の僕にとっての挑戦かなと思います。これからその挑戦を体現できたらいいなと思っています。

 

好きな言葉やモットーはありますか?

これは自分の中で言い聞かせてる言葉ですが、王貞治さんの「努力は必ず報われる。もし報われなければ、それはまだ努力と呼べない」という言葉をすごい肝に命じています。自分が失敗や挫折を経験するたびに、この言葉を思い出していて、父親からも「お前、努力できてるのか。成功してないなら努力できてないんじゃないか。それって、まだ努力が足りてないんじゃないか」って言われるので、それは自分に言い聞かせています。

 

サッカーでハーバード大学に⁉学問とスポーツの最高峰で挑み続けたものとは

 

なるほど、父親との関係が興味深いです。脱線しますがお父さんについて教えて下さい。

僕の父親は、自分が年をとるにつれて接し方がすごい変わったなっていうふうに感じます。私に対して教えてた立場から一緒に自分が思ってることを言い合って、価値観をシェアできるような、そんな形に変わっていったなと思います。年をとるにつれて自分の中で考えがどんどん出てきた中で、僕のお父さんは、一方的に教えるのではなくて、考えさせながら自分の意見も言わせるっていうのがすごい大きいなと思いました。めっちゃかっこいいと思っています。家族をアメリカに連れてきた決断や、大変な中でも、自分たちをサポートしてくれたことに感謝しています。私もそういう人になりたいと思っています。父親にはいつも支えてくれてありがとうと伝えたいですし、お父さんのような人になりたいと思っています。あと、母親もとても努力をしていて、私たちの環境を良くしてくれました。家族全員で大変な時期を一緒に乗り越えてきたので、お互いに頑張ったと言えるところまで来たなと思います。

 

ちなみに、今、会いたい人はいますか?

スポーツ関連で言うと、大谷翔平さんには興味があります。プロ意識や選手のキャリアもそうですし、この先どうなるかとか気になります。あとは、中田英寿さんと話せたら面白いと思います。中田さんはサッカーを引退した後、日本の伝統文化に深く関わっているので、その心境を聞きたいですし、僕も日本の伝統文化に興味があり、時間を作って酒造りや日本刀などについて学びたいと思っています。

 

 

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【編集後記】

優しい表情で穏やかに話しながらも、きっとこれまで人の何倍も努力してきたことだろう。家族への感謝の気持ちも欠かさない。ハーバードで国籍・文化の違う仲間と触れあい、どれだけ多くのことを学んできたのだろうか。日本の若者に彼のような広い視点を持って欲しいと願う 。【内野優】

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如何だったでしょうか。本サイトでは、「私も一歩踏み出してみよう」と思える。挑戦者の行動を後押しする記事をご紹介しています。

次回の記事もお楽しみに!

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  • Boston SEEDs運営

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