ミドリムシの食品用途での屋外大量培養に世界で初めて成功したユーグレナ。その創業者である出雲充さんは、2005年にユーグレナを創業する前の2004年に、バブソン大学のプライス・バブソンプログラムを修了されていた。そこから得られた教訓や起業家マインドについて話をしていただいた。
コンフォートゾーンを飛び出せ
私は本当にバブソン大学に感謝しておりまして、アントレプレナーシップの教授であるジェフリー・A・ティモンズ先生がお亡くなりになる前に登壇されていたプログラムを受講でき、彼の最終講義を受けさせてもらいました。
今でも覚えているのが、『Get out of your comfort zone』という言葉です。コンフォートゾーンを飛び出せ。アントレプレナーシップというのは、コンフォートゾーンを飛び出すこと。それが全ての始まりであり、そしてずっと続いていくことであると彼はラストレクチャーでも話していました。
私は大学を卒業してすぐに起業したわけではなく、東京三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)に入行しました。元々辞めるつもりで入行したとはいえ、辞めることに対して躊躇しなかったというようなことはなく、むしろずっと躊躇していましたし、銀行を辞めるときには本当に悩みました。もう悩んで、悩んで、悩んで、こうしてみんなやっぱり銀行に残るのだなということがよく分かったほどです。
しかし最後に躊躇したときに、これは言葉だけだとうまく伝わらないと思うのですが、大変な方を選ぶ、難しい方に身を投げ出すことにしたのです。ハードな方を選べ、困難を選べ、というのは世界中の教訓にあると思いますし、成功されている有名な経営者も言われています。
この言葉の私なりの解釈は、根拠はないけれど、他の人と違うことをやってみたら、そこは誰も来ない野山なので、とっても素敵な花が見つかるはずだと考えて、やってみること。もう不安で不安で、どうなるか分からないけれども、その不安に打ち勝っていく。根拠なく、今までの常識的な、論理的な、スマートな、考えられるアプローチでうまくいかなかったのだから、全く違うアプローチでやってみようとチャレンジしてみることです。うまくいくこともあるし、うまくいかないこともあります。野山にあると思っていた素敵な花は無いかもしれない、先にあるのは崖かもしれない。でもそれは自分の責任なので、やってみようということです。
ティモンズ先生の授業を受けて感じたことは、起業する前から、そのテーマに腹落ちしている人はいないということです。どんなに事前に準備をしても、腹落ちしてスタートした起業家はいないのです。散々分析して、これなら成功すると考えたから取り組んだというようなストーリーは後付けです。それはメディアが作ったストーリーなのです。私の場合もそうです。ミドリムシの大量培養と商業化をやりきったから、あたかも事前に分析して腹落ちしていたのでやり切りましたというストーリーになるのでしょうが、実際は根拠なく始めて、不安に負けなかっただけです。腹落ちしたから取り組んだわけでも、他の選択肢の中でこれが良さそうだったからやったのでもありません。本当に毎日、ミドリムシは本当に培養できるのか、もう見当もつかない。暗中模索でした。それでみんな諦めるのです。
ここまでやって、もう人間では無理だというところまでやって、それでも出来なかったら、自分も必然的に諦めていたと思います。基盤技術が整っておらず、努力に関係なく実現できない時代というのは確かにありました。昭和50年代は無菌状態を維持する技術がなく、ミドリムシのような微生物の大量培養は本当に難しかったのですが、今は周辺技術に致命的な欠点というのはあまり残っていません。
自然環境でミドリムシが大量繁殖することは稀にあるので、本当に大勢の方々に協力いただいて、何度もチャレンジをして、やり尽くして、培養が実際にできるようになりました。
「コンフォートゾーンを飛び出す」ということをアントレプレナーシップの話をする時にいつも申し上げているのはそのためです。話を最初に戻せば、ティモンズ先生の『Get out of your comfort zone』ということです。
ミドリムシを手に持つ出雲さん
どこかのタイミングで小さい成功体験があるかどうか
コンフォートゾーンを飛び出せ、と言われても、今の日本にいる人にはなかなか伝わらないでしょう。転びそうな石を事前にみんなが避けてくれているのが今の日本です。こんなコンフォートな社会はないですから、コンフォートゾーンから出よと言われても刺さらない。
ただ、何かしら強制的なのか、自発的なのかは人によって違うのですが、例えば全然知らないところに行って、見知らぬところで人に声をかけられて、最初は怪しい人だと思ったのだけれども、友達になったら親友になりました、といったような経験。何でも良いのですが、1回とにかく飛び出してみて、行ってみたら良かった経験がどんなに小さくてもあれば、困難に出会った時、難しい方に、不安だけれども自分を信じてチャレンジができるようになるのではないでしょうか。どこかのタイミングで小さい成功体験があるかどうかだけなのだと思います。
私の場合は、バングラデシュに行ったことが大きかったです。中高生の時に「国連に入って世界を救おう」と思っていて、大学に入ったら偶然グラミン銀行のインターンシップのプログラムを学校が提供していたので、ちょっと行ってみようと思ってバングラデシュに行くことにしました。
行先としての途上国の選択肢は、バングラデシュ以外にもありました。アフリカにしなかったのは、ビザ発給条件のワクチン接種に時間がかかってしまうというくらいの理由です。もしバングラデシュのワクチン接種の方が時間を要していたら、アフリカや他の国に行っていたでしょう。どうしてもバングラデシュでなければならなかったというわけではありませんでした。
多くの人はオポチュニティコストを過大に見積もりすぎていると思います。そして結局動けなくなるのです。私は何の知識もありませんでした。当時『地球の歩き方』のバングラデシュ版もありませんでしたし、インターネットもありませんでした。たまたま大学が提供していたバングラデシュのグラミン銀行のインターンシップに参加したら、そこにグラミン銀行の創業者のユヌス先生が歩いていらっしゃったのです。その時はまだユヌス先生のことを知りませんでした。帰国してから調べたら、とても凄い人だったと知ったのでした。
それ以来、ユヌス先生が来日されるスケジュールは全部調べて、日本に来られる時には日本中どこへでも先生の講演を聞きに行きました。アイドルの追っかけと同じです。今ではとても有難いことにほぼ毎月ユヌス先生にお時間をいただき、Zoomを通じて色々な報告をさせてもらっています。
ユヌス先生に出会って、創業して、グラミングループとの合併会社グラミンユーグレナを創って、これらはとにかくバングラデシュに行ってみたことから始まっています。バングラデシュに行く前からこうした経験ができると思って行ったわけではありません。
グラミン銀行創設者のユヌス氏との一枚
今のリーダーにとっての最大のボトルネック
今の時代はもう難しいテーマしか残されていません。スマートに、ロジカルにアプローチして解決できる問題は今この社会にもう残されていないのです。ロジカルではないけれども、根拠なき自信で乗り越えられた先にあるイノベーションでしか解決できない問題に取り組まなければならない。普通のやり方で、叡智を結集するようなアプローチで、少しずつ進んでいって、問題解決できましたというものはないのです。今のリーダーにとっての最大のボトルネック、トラップがここなのですよ。これを乗り越えることができたら、日本は本当のアントレプレナー大国になれると思います。
技術、特にバイオテクノロジーや微生物を用いた発酵工学において、日本は事実上世界一です。しかしビオンテックをはじめとする欧米のバイオベンチャーに比べれば、日本の企業の価値はその100分の1にもなっていない。技術は日本の方が良いと言えるわけですから、これはリーダーのマインドセットがボトルネックだと思っているのです。これを変えられたら、日本は本当に素晴らしい国になると思うのです。
これからのリーダーには、リーズナブルな状況を出て、限界を超えたところにチャレンジして欲しい。そうしたら大勢の人が「そういうリーダーを待っていた」と言って、支えてくれます。そういう人は世界中にいるのですよ。リーダーは『Get out of your comfort zone』を体現して、同じ世代や後輩に素敵なインパクトを与えてほしい。無謀なことをやれと言っているのではありません。もちろん死なない範囲で、です。ただミドリムシほどの無謀なことはありませんから。
バングラデシュに行った時の写真。ここに行ってみたことで出雲氏は栄養問題の解決を目指し、後にミドリムシと出会うことになった。
如何だったでしょうか。本サイトでは、「私も一歩踏み出してみよう」と思える。挑戦者の行動を後押しする記事をご紹介しています。
次回の記事もお楽しみに!
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