まず自己紹介からお願いします。
はい、名前は佐野月咲(さの・るなさ)です。1998年生まれで26歳です。東京都出身で、5歳からアイスホッケーをやっていて、ずっと東京で生まれ育ってきたんですけど、筑波大学付属高校を卒業してから、それからハーバード大学に入学しました。そこからハーバードで4年間、コロナの時期がちょうどかぶったので実は1年間休学して東京にいたんです。ですので、入学してから卒業するまで実際5年間で、2022年の5月に卒業して今はアイスホッケー選手として活動しています。
なぜ、ハーバード大学を目指したのでしょうか?
そうですね、私はアイスホッケーを小さい頃からやっていて、他のスポーツで水泳をやっていたりとか、習い事でピアノをしたりもしていたんですけど、アイスホッケーが唯一ずっと続けていたもので、その中で自分がたまたま置かれていた環境や、自分の所属していたチームとか、多分アイスホッケーという世界がまだ日本の中では狭いというのもあったと思うんですけど、割と日本代表や世界の目標みたいなものが、結構、身近に見えたり、身近な人がそういうところに行っていたりするということがあって、それを見て自分も自然と日本代表に入りたい、オリンピックに行きたいっていう思いがありました。私が16歳の時にU-18の日本代表に入ることができたんですけど、そこで初めてアメリカに行って、1回目の世界での経験をした中で、次の年が私は17歳なので、まだ翌年のU-18の大会のチャンスがあって、その大会に向けてすごく準備して、ものすごく努力したなって自分で感じた年だったんですけど、大会前に代表に入れないっていうことになってしまい、そこで初めてものすごく大きい挫折というか、ホッケーがなくなってしまうというか、自分のその先に描いてたものがたくさんあったのに、こんなに最初の段階でつまずいてしまったみたいな、すごく大きな何か感情みたいなものがあって、そこがものすごく今までの人生の中で大きい感情が揺れたときでした。日本でこれだけ自分ができること全てやって頑張ってきたのにって。
ですので、これだったら環境を変えるしかないのかなってなった時に、(国内でホッケーの)本場の北海道に行くっていう選択肢はあまりなくて、なぜなら、自然とアイスホッケーと勉強の両方に身を置けているっていう経験をずっと積んできたので、何か大学進学と合わせてアイスホッケーの為だけに北海道に行って、自分が一番行きたいところを目指さないという選択肢はないなと思ったんです。どこに行けばいいんだろう、みたいな感じだった時に、親が今まで考えたこともなかった海外という選択肢を持ってきたときに、「あ、そういう手があったか」みたいな。そこでたまたま母がハーバード大学の女子ホッケー部のYouTubeを見つけてきて、その映像にアメリカやカナダの代表選手もいるし、男子のチームからプロ選手になる選手もいるっていう中で、今まで勉強だけすごいと思ってた大学が、スポーツでも強いっていうことを初めて知って、「あ、ハーバードに行こう」って何も分からないまま思うようになったのがきっかけですね。
お母さんからハーバード大学のホッケー部の映像を教えてもらって、それを見て月咲さんが行きたいと決めた時から、実際にどのような準備をされたんですか?
そうですね、ハーバードのアイスホッケー部の事を知ったのは、すでに高校2年生の12月頃だったので結構遅くて、それからアスリートとしてやらなきゃいけないことは、まずチームのコーチに連絡を取って、自分が入学する年にちゃんとチームに選手として入る枠があるかどうかや、自分が入りたい旨を伝えて話を始めること、あとは、実際に留学生として入学しなきゃいけないのでTOEFLやSATというアメリカのテストを受けて、基準以上の点を取らないといけない。それまでは海外に行くための英語の準備をしてきたことがなかったので、完全にそういう英語の準備をしていました。
ハーバード大学のコーチに連絡をするのは、ご自身でやられたんですか?
そうです。スポーツの留学アドバイザーみたいなのがあって、そのアドバイスをもらってメールを自分で送るとか、親に送ってもらったりして、その後のやり取りを自分で始めたんですけど、最初は本当に何を送っていいか、どういう情報を送っていいかとか、どういう風にコミュニケーション取っていいかも分からないので、その点は現地の事情に精通してる人たちを通じて準備を進めた感じでしたね。
例えば、米国の他大学の受験では、選手枠を利用して入学する際に、高校時代の公式記録として残したタイムで、必要な基準をクリアして、その上で英語のスコアとエッセイを提出して合格したと聞いたんですけど、月咲さんの場合は、何か具体的な条件があったのでしょうか?
そうですね。競技によって違うと思っていて、例えば、水泳や陸上だったらタイムが出るんですけど、アイスホッケー、サッカー、バスケットボール、アメフトとかもそうですけど、チームスポーツだったらポジションとか、あとプレーヤーのタイプとか、どういうところを見るかっていうのもコーチによって違うし、大学によっても違うので明確なスタッツ(統計データ)やこういう記録を高校で出してますっていうのはあるんですけど、そこだけではなくて、チームメイトとしての性格やパーソナリティや、そのプレースタイルとか、どういうふうにチームにフィットするかみたい部分を見られるので、そこで正確な数値的な基準っていうのはないです。だけど、結構今までどういうチームでプレーしてきたかとか、どういう大会に出てるか、私の場合はU-18の日本代表に入って世界選手権に出てたので、それが一つはプラスになったかなと思います。あとは実際にビデオを送って、コーチが私のプレーを見てそこから判断するとか、結構早い段階で一番最初のステップとしてビデオを送るっていうのは、ありますね。
自分自身のアピールとしてビデオを送って自分のレベルを示したんですね。それはいつ頃だったんですか?また、準備したものとして、エッセイやTOEFLなど、どのような基準があったのですか?
そうですね、ビデオは高校2年生の2月とか3月ぐらいには送っていたと思います。準備したもので明確な基準があったのは、TOEFLしかなかったですよね。TOEFLは100点以上は多分アイビーリーグの基準だと思うんですけど、それ以外のエッセイやSATに関しては別に何点以上っていうのは言われてませんでした。選手によっては言われてたり、そこも結構チームやコーチ次第なところもあるんですけど、できるだけ高い点を取るっていうのが一つと、あと、ハーバードだったら過去の合格者で何%の人が何点取ってるというのが、多分毎年出てたんですよね。そこで大体このぐらいの最低点を取らなきゃいけないみたいなものがあって、そこを目指してやるって感じでしたね。エッセイも個性が出るようにというか、読む人はコーチたちではなくて試験官なので、普通に一般受験者としても通るようなエッセイを目指して書くっていうのは心がけていましたけど、基準みたいものはなかったですね。
そうなんですね。今年、日本の高校野球界では花巻東高を卒業した佐々木麟太郎選手がスタンフォード大学に進学して、高卒から海外の大学という流れが注目されました。一般的な入試で入学する形と、スポーツの実力を一つの特徴として入る形ではどういう違いがあるのか知りたいのですが、月咲さんのときは、ご自身のプレーがやはり認められたという点が大きかったのでしょうか?
大きかったと思います。本当だったら、遅くても高校2年生の間に大学のチームに入ることが決まっていて、口約束じゃなくて、正式に紙にサインして入ることが決まってて、高3の時は、形式上入学書類を全部出さなきゃいけないんですけど、もう一応決まってますよ、みたいものが、アスリートの一番の王道パターンなんです。けど、私は話し始めた時期も遅かったですし、そういう時期も過ぎていたので、高3の夏にハーバードのアイスホッケーキャンプに直接行って、そこでコーチたちの目の前でプレーを見てもらって認められたっていうのはものすごく大きくて、そこから連絡を取り始めて、一応口約束のような確証はできないけど、大学に来て欲しいよ、みたいなところまではいったんです。それでも、絶対保証されてるっていうのは全くなくて、一般入試としても全部用意して、できるだけ良いもの(TOEFL、エッセイ等)を用意して出さなきゃいけないっていう状況でしたね。
本当にケースバイケースなんですね。各競技や選手のクリアすべき条件というのはあるんでしょうか?
そうですね。絶対っていう方法は全くなくて、それこそアメリカっぽいなと思うんですけど、コーチと選手との話というのも人によって全然違うと思いますし、本当にケースバイケースだと思います。
そういう経験をされて、実際に調べてみて、結構、違いがあったかと思うんですけど、今振り返ると、日本の高校生たちが、アメリカの大学あるいは海外の大学に挑戦する上で、何がハードルなのでしょうか?
一つはやっぱり英語ですよね。そこがものすごく大きいと思います。逆にそこの最初の大きいハードルを越えられたら、割と他のことも簡単と言ったら語弊があるかもしれないですけど、情報さえ得られれば、いろいろと簡単にできるんじゃないかなと思うんです。やっぱり英語ができないことには、入試の要項も読めないですし、何を出したらいいかもわからないですし、テストや面接も全て英語ができることが前提になって、その上での留学ってなるので、やっぱり最初から正規留学しようとするなら、それが一番のハードルですね。多分、学校で習う英語だけじゃそこまでのレベルにいけるっていう人はなかなかいないというか、プラスアルファで自分でやらなきゃいけないと思います。
逆にそれさえ克服してしまえば、プレーで渡り合えるといいますか、ハーバードの学生ともやり合えるという感覚でしょうか?
大学に入った後も、もちろん大変です。入って4年間やろうとするには、それなりの覚悟というか、今までの生活がガラッと変わるし、文化も言語も何もかも変わります。どれだけ準備できたと思って入っても最初の2年半ぐらいは正直めちゃくちゃ大変だったし、ハーバードっていう名前で学校に行けたとしても途中で帰ってきてたかもと思うぐらい、やっぱり大変だなって思います。やっぱりスポーツをすることも魅力で素敵ですし、アメリカの大学で勉強することも魅力的なんですけど、日本で18歳まで生活してきて、新しい国ですぐ学生生活始めるっていうのは、相当な覚悟がないとなかなか難しいなっていうのはやっぱり思っちゃいましたね。
まさにその点を質問しようと思ってたんですけど、ハーバード大学に来て良かった点、また、気づいた点、そして自分が変化した点、その三つを聞きたかったんですよね。いかがでしょうか?
ハーバードに行って良かった点というのは、ここでしか会えない人たちと会って、卒業後も繋がりができてるっていうのはすごく良かったなと思っています。私、日本では、めちゃくちゃ社交的で、すぐ友達ができる方なんですけど、ハーバードのような文化が違うところで、違う言語を喋ると、ちょっと自分の性格も変わるというか、全然違う人みたいになって。ここでたくさん友達ができたわけではないですし、普通の素の自分だったらもっとうまくできたのになあみたいなこともたくさんあったと思うんですよね。でもやっぱりその中でも濃い繋がりっていうのがいくつかできて、今も連絡を取ったりだとか、ハーバードに行ったからこそ、繋がったり一緒に何かできたりするっていう人を見つけられたっていうのが、まず一つものすごく良かったことですね。
あと、いろんな文化を知れたというか本当に世界の広さに気づいたみたいな。今まで本当に日本でずっと生まれ育ってきて外の世界を知らなかったので、ただ旅行に行くとかじゃなくて実際にそこに住むことで本当に自分と違う文化も人種もバックグラウンドも言語も生活も違う人たちと会って、そこを知ると知らないとでは、自分がこの先、世界を自分の目で見ていろんな判断していくにも、その見方とかも変わるだろうし、ちゃんと自分の目で見て経験できて良かったなっていうのが、行って良かったことですかね。
それで、気づいた事としては、次の大変だった事と被るんですけど、アメリカで生きていくというのは、こういうことなんだなっていうのをすごく自分の肌で感じたというのが、大学や教育機関は世界にアピールするときに多様性とか、いろんな人種を受け入れて、いろんなバックグラウンドを受け入れて、LGBTQもアメリカでかなり言われるというのがあるんですけど、でも大学に入ってダイニングホールに座ってみると、みんな一緒に集まってるグループというのは、だいたい同じ人種によって固まってるし、他の場所に行っても、例えば、自分が競争しようと思っていろんな場所でスポーツでもそうですし勉強でもそうですし、ソーシャルな場でもそうですけど、本当にフェアなチャンスが与えられてるか、フェアな目で見られてるかって思った時に、そうとは言い切れない場面ってすごくたくさんあって、でも、逆にアメリカで生きていくとか、結果を残していくって、そういうふうなことでそれがアメリカのリアルな現実で、すごくリアルな面を見れたっていうのが、気づいたことですね。多様性と言っても全部そうなっているわけじゃないし、ただアメリカで生きていくっていうのはそういうことっていうのはすごく大きな気づきでした。逆に、そういう事が大変なことでもあり、自分がいたチームでは私以外みんな北米出身でほぼ白人の選手ばかりだったので、まずみんなの中に入って4年間、一番時間を過ごすのがその子たちなわけだから、そこに入ってずっと過ごすっていうのも、みんなと同じだけのリスペクトを得るっていうのにもやっぱり人一倍時間がかかったと思いますし、逆に自分の本当にパフォーマンスだけで勝負するっていうのも、みんなと来た場所とか今まで所属してたチームとか今までプレーしてた場所っていうのが違う分、すごく自分にバイアスがかかってる気がしていて、それをどういうふうに取り払って、プレーしていくかっていうのをすごく考えました。そういう面が大変だったことかなっていうふうに思いますね。
まさに、自分自身で気づいて変わっていったということなんでしょうか?
そうですね。変化したことって言うのがすごく難しくて。というのも、私は大学4年生の終わり方で、一番悩んですごく大変だった時期だなっていうふうに思っていて、それをうまく解決して卒業できたかって言われたら、そうとは言い切れないというか。やっぱり、自分の中でモヤモヤじゃないですけど、やっぱりそういう現実とか、自分が日本人としてアイスホッケー選手として、ここに来ているということに対するバイアスや、何かそういうものをすごく感じながら、どういう風に自分はうまく生きていけばいいんだろうって思ってたときに卒業したので、多分変化しきって卒業したとは思ってなくて。今もそこは自分がいろんな面でいろんな世界に場所に行ったりとか、いろんなところで勝負したりしようとするときに、すごく考えることではあるんですけど、現時点で、そこから私自身の考え方が、アップデートされたなっていうふうに思っていて、やっぱり大学4年生のときは、苦しくても苦しくても最後までやりきるというか、もうそれがここに来てることの意味だから、その苦しさまで経験にして、苦しいものをちゃんと感じなきゃいけないとか、そうじゃないと良いものを得られないという考え方で、結構、その沼というか、そこにどんどんハマっていってやっぱりどんどんどんどん自分も精神的にすごく追い込まれて大変だったなって思ってるんですけど、今は逆に、そこからちょっと変化したのは、今は自分にコントロールできることとコントロールできないことがあって、やっぱりそういう周りからの環境や周りの考え方とか価値観から受ける苦しさとかっていうのはコントロールできないから、でも全部自分の周りにある現実を受け入れて、これも自分だからできてる経験だと思って、どれだけ自分の1日を楽しく幸せに生きるかっていうことにフォーカスしたら、結局、自分がコントロールできる範囲の全てのものはいいことになるんじゃないかと思って、そういうマインドセットになってるんで。多分、大学4年生のときはすごく暗くなっていたというかやっぱり大変な時期もあって、すごい暗い中を頑張ってたみたいな感じなんですけど、今は割と頑張り方が違うのかなっていうふうに思いますね。
大学4年生のときが一番苦しく、いろんなことに悩まされたということなんですけど、それはどの点で自分の中でモヤモヤして、何が一番不安だったっていうのがありますか?
そうですね、自分がうまくプレーしてるのに全然評価されなかったり、チャンスが与えられなかったりなのに、まだ練習に入ってきたばっかりで、来たばかりの選手に対しては、まだプレーを見せてないのにチャンスが与えられたみたいな、そこですごく最初から決め付けられてる感じがして、それに関して何回もコーチに話しに行ったりとかして、いろいろあったんですけど、そういうところで結構、大変でしたね。
個人的にも何か共感できます。それで、これまでの経験を総括して、月咲さんにとって留学、そしてハーバード大学での挑戦とはどのようなものでしたか?
そうですね。いつも言ってるのは最初の方に言ったことともかぶってるんですけど、本当に覚悟がいることだし、楽しかったかって言われたら楽しいよりも確実に大変な方が多かったんですけど、「ハーバードに行って良かったって心から思ってる」というのはいつもいろんな人に聞かれたら言っています。ですので、一言で言うと、世界に出ていく、世界で旅を始めるための始まり部分、本当に序章の部分だなっていうふうに思っていて、やっぱりそこでハーバードに行ってなかったら私の選択肢とか、これから物を決めていく基準とか範囲がものすごく狭まってたと思うし、やっぱりそこで世界を見といて、そこでちょっと無理をしてでも、ちょっと背伸びしてでも一番レベルが高くてものすごくシビアでリアルな世界を経験したからこそ、自分が見れた世界や自分がちょっと手が届くかもって思えるようになった世界が絶対にあって、だからこそ、卒業後のこととか、自分の進路を決めるとか、自分がこういう決断するか迷ったときに、自分の基準自体が、今までだったらそれまでずっと日本にいたとしたら、憧れで終わってたかもしれないようないろんな場所が、周りの人とかも普通にそこで働いたりとかそういうところに手を届いてる人がいるような世界にいたことで、もう憧れではなくて、自分がいれる場、自分がもしかしたら勝負できるかもしれない場っていうふうになったので、何と言うか踏み台にしていきたいというか、本当に序章で、そこからどう築いていくかっていうのがものすごく大事だなっていうふうに思ってますね。
有難うございます。その経験を踏んで、いま月咲さんが挑戦する姿勢を続けられるのは、なぜだと思いますか?
そうですね。一つはやっぱり、満足できてなかったっていうのがあったと思って。やっぱり4年生のときに悔しい思いをして、精神的にもやられたなって思ったんですけど、それでも何だろう、自分がそこにいるものでそれだけつぎ込んで、自分はまだできる、世界で戦えるっていう信じてるものが自分の中にあって、だからこそ挑戦し続けられたっていう思いが一つあったっていうのはかなり大きいなって思います。あとは、ハーバード大学に行くっていうことって、ハーバードっていう名前からも注目されがちだと思うんですけど、そこがハイライトじゃないなって自分では思っていて、そこで自分ができた特別な経験っていうのを、次に繋げていかなきゃいけないし、同時に他の人がやったことないことを、これから自分で新しいことを始めていったりだとか、他の人がやったことがないことを自分が最初の1人になって、新しい道を開いていきたいみたいな思いがずっとあるので、そういう部分が挑戦を続けていこうとか、今まで前例があった無いに関わらず、こういうことをやってみようっていうふうにマインドセットになってるんじゃないかなって思います。
月咲さんにとって、挑戦してるときというのはどのような気持ちで、どのような感覚になってるのでしょうか?
そうですね。楽しくなかったらやってないのでやっぱり一番は楽しいとか自分が好きなことをやってるっていう気持ちですかね。日本の生活は、すごく好きで日本大好きなんですけど、割と何が起こるかわかるというか日々の生活で慣れてることが多いから、ここに行けばこれがあるとか、こういうふうに生活してたらこういう感じに過ごせるし、みたいなものがわかってるんですけど、新しい場所に行って毎回挑戦をするとなると、なんか毎日毎日の1日のその瞬間瞬間が初めての出来事との出会いで、わくわくもするし、ドキドキもするし、何かちょっと一種の緊張感があるところが、それが多すぎるとストレスかなと思うんですけど、でもそのなんか緊張感みたいなのがすごく好きで、やっぱり新しい場所に行って、何も知らない中で、明日何が起こるかもわからなくてみたいな。そういうちょっと緊張感っていうのはなかなか自分が知ってる範囲の物事の中では、決断していったりだとか、その中で生きていこうと思ったらできないことなので、そういう意味で挑戦をすごく好きだなって、そういう意味合いがあるなっていうふうに思ってますね。
以前、日本でホッケーのキャンプを開催されたということなんですけども、その理由として私が月咲さんの「note」を見たところ、「自分はできる、自分の個性が自分の強みだと、子供たちが心の片隅にでも刻める機会を作る」と記載があったんですけども、改めてこのときの理由というか、経緯を教えて下さい。
そうですね。アメリカの経験というのは自分の大学時代の経験から来てるんですけど、世界で自分が挑戦している中で、自分の喋る言語や人種で自分のチャンスが狭まってると思ってしまうこともありますし、逆に周りからそう見られてると思う。例えば、この人はこういうところから来たから、多分こういうことできないよねって勝手に決めつけられてるようなことって意外とたくさんあるなって思っていて、でも、本当は綺麗事かもしれないんですけどどの要素も関係ないって思うし、私も負けたくないし、そこに潰されて欲しくないっていうふうにすごく思っていて、それは別に世界に限らず日本にいても、結構いろんなことに挑戦しようと子供が思っても、周りができないんじゃないと思ったりとか、難しいんじゃないと思ったりとか、自分の環境がこうだから、この環境にいるからそれは無理なんじゃないとか、こういうバックグラウンドを持ってるから駄目なんじゃないみたいなことって意外と自然にどこにでもあることだなって思ってて。でも、それを決めるのは周りでもないし、環境でもないというのが、自分の中ですごく強い思いとしてあったので、自分が挑戦したいっていう思いがある限り、自分がそこでやるっていう覚悟がある限り、自分がそこでできるって、何にも惑わされることなく思えるようなメンタリティ、そういう気持ちが持てるような場所が作れたら、小さい頃にそういう気持ちを持っておけたらいいだろうなって思って、こういう機会を作りたいなって思ったのがきっかけですね。
素晴らしいですね。子供たちにこの機会を作ることによって、何を期待しますか?
そうですね。これは私にとってもすごく学びの機会でもあって、本当に目的はぶれずに、スポーツを通じて世界を広げるっていうのも一つのテーマにしていて、スポーツを通じて子供たちが普段触れてる日本だけの世界じゃなくて、いろんな海外から来るインストラクターとかと一緒に交わることで、より広い世界や自分の可能性を感じて欲しいっていうのもあるんですけど、そういう交流をすることで、自分に対する自信や、自分が唯一無二の存在であって何でもできるっていう思いとかを育めたらいいなっていうのがテーマにあって、もうそれはずっとぶれずに、このテーマでずっとやっていこうと思っています。私自身もこれをやるってなって、やっぱりそのテーマとかだけで動くってよりも、その運営の細かいところとか、ビジネスモデルとしてどういうふうに、少し企業家要素が入るかもしれないんですけど、そういう部分もたくさん学ぶことがあって今年もいろいろ同じことを別の場所でやるんですけど、自分自身にとっても、新しいことを0から1で作って、それをちゃんとお金とかも回せて、成り立たせていくっていうのはすごくこの次に繋がる経験だなって思ってるのが一つあるので、個人的にここから得られるものっていうものを、これから今後、定期的にアイスホッケーだけに限らず、テーマとか、こういう課題っていうのをよりいろんな人たちに届けていくために、そういうモデルを作るために、まずここで実際自分が動いてやることで、得て成功に繋げられるものがあるっていうのが個人のテーマです。もう一つはやっぱり本当にシンプルで最初に掲げたテーマのままで、気持ちの部分というか、必ずしもこれを通してみんな日本代表とかみんなになってほしいとかみんな世界に行ってほしいっていうことは全くなくて、それよりもスポーツしているから、特別な経験ができたとか、スポーツしてるから人と出会えて、スポーツしてるからこの先人生で役立つような考え方を得られたみたいな、何かのきっかけというか、何か特別でちょっと変わった子供の頃の経験って結構覚えてることがあるんだって私は個人的にずっと思ってて、なので、ちょっと変わってちょっと特別で、いつまでたっても何故かわかんないけど覚えてるみたいな、なんでだろうみたいな思えるような経験を作ってちょっとずついろんな次世代の選手の中に残していけたらなっていうのは、長期的に見てありますね。
最後に改めてお聞きしますが、月咲さんにとっての挑戦とは何ですか?
そうですね。そういう質問をいただくとどうしても一言で言いたくなっちゃう気持ちになっちゃうんですけど、私がずっとやっていきたいなって思うことは、新しい道を開いていくというか、道なき道を歩むって、ずっと自然と思ってるんですけど、本当に道のない場所を進んでいく、歩いていくことっていう自体、そういう生き方というかが好きですし、それが私にとって挑戦の一つであるのかなって思うのと、同時に、自分にとっては割と自然なこと、なのであんまり挑戦って意気込んでやってることはないのかなっていうふうに思っています。やっぱりやってみたいことはやってみたいし、ハーバードに行ったっていうことで、常識の枠内で考えて解決しようってすることを諦めたというか、それを止めたって思ってるので、今まで前例があるとかないとか、普通はこうするとかしないとか関係なくて、自分には目的があって、こういうことをしたいんだったら、こうするっていうような思考をできるようになったので、その意味では挑戦、毎回すごく意気込んで挑戦っていうよりは、自然なこと。それが今まで道がない場所だったとしても、そこに道を自分で作って歩いていくっていうのは割と自然なことなのかなっていうふうに思っています。
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【編集後記】
幼少期からアイスホッケーに情熱を注ぎ、日本代表を目指しながらも大きな挫折を経験し、それでも決して折れることなく、ハーバード大学への進学を決意。入学後も決して順風満帆とは言えず、言語や文化、人種の壁に直面し、チャンスを掴むことにもがき苦しんだ。しかし、自分を信じ続け、未知の道を切り開こうとする彼女の熱意と果敢に挑戦し続けるその姿勢は、きっと実りある成果を得られると確信している。【内野優】
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如何だったでしょうか。本サイトでは、「私も一歩踏み出してみよう」と思える。挑戦者の行動を後押しする記事をご紹介しています。
次回の記事もお楽しみに!
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