この記事は、起業家教育で29年連続世界No.1スクールであるバブソン大学(アメリカ・ボストン)のMBAの卒業生たちにインタビューし、彼らの挑戦に迫るシリーズになっています。MBAという大きな挑戦を経験し、卒業後もなお挑戦を続けている方々へのインタビューを通じて、挑戦への向き合い方やそのマインドセット、それをどう乗り越えてきたのかなどを共有することで、読者の方々の挑戦へのMotivationを刺激し、一歩踏み出す一つのきっかけを作ることができればと思っています。
第3弾となる今回は、竹内麻衣さん(マイさん)にお話を伺います!
まずは自己紹介をお願いいたします!
竹内麻衣です。バブソン大学のMBAを2022年の5月に卒業して、現在は卒業前からインターンとして働いていた、NECX(NECの子会社であるスタートアップアクセラレーター)で働いています。
入学前のキャリアは、パーソルキャリア(旧インテリジェンス)という人材系の会社で人材紹介の営業、転職支援業務に5,6年従事し、その後転職サイトdodaのマーケティング業務、そしてクロスフィールズというNPOでPRと新規事業を担当しました。バブソン受験中にマカイラという公共政策コンサルティングに転職をして、そこから留学をしています。
転職や留学など、今まで何度も新たなチャレンジをされてきたと思いますが、そのような「挑戦マインド」は昔から持っていたのでしょうか?
元々そんなに持っていなかったと思います。私も1社目には12年いたのでそれなりに長いですし…
1社目の旧インテリジェンスで人材紹介の営業の配属がたまたまIT・インターネット業界でした。5人~50人ぐらいのITベンチャー企業が営業先として多かったのですが、毎月のように顧客企業内でいろいろ事件や変化があって、会社が成長したり時には衰退していく姿を営業として目の当たりにしました。そして、そういうところに触発されたインテリジェンスの若い同僚たちが、自分たちで新規事業を起案したり、転職したりというのが結構身近にあったんです。私も同期に誘われて新規事業を立案してみたり、同期がイノベーションカンファレンスのスタッフをやってるのを見て自分も応募してみたりしてました。そういう形でちょっとずつ世界が広がっていったので、周りの影響が大きかったと思います。だから生まれ持ってそういう性格だったというよりは、会社に入ってからそういう環境に身を置くことで、周囲からの影響を受けて自分も触発されて、少しずつマインドセットが変わっていったみたいな感じですかね。
人によっては周囲の環境が琴線に触れないこともあると思います。マイさんが、周りに影響されて自分もやってみよう!と思えたのは、なぜだったと思いますか?
Good Questionですね…大きく3つぐらい理由があるかなと思います。
ひとつは同期へのジェラシー、もうひとつは親へのコンプレックス、最後は転職支援の仕事をしながら生まれた葛藤です。
まず、同期へのジェラシーですね。営業で働いていた時、最後の1年は営業の精鋭チームに入りました。そこでは同期や後輩が、すごく人間力も高くて優秀で、全然かなわない。さらに、彼らのアクションが上司や役員を巻き込んで、少しずつ会社の意思決定や上の人たちの動きを変えていったんです。成果が出るばかりでなく、やっていて本当に楽しそうなのを見ていて、単純に負けたくないな、悔しいな、いいなという思いが当時すごくありました。
「採用支援は経営支援だ」と当時の上司がよく言っていて、私自身も人ひとりの採用がベンチャーの成長を左右するさまを実際にたくさん見ていたので、経営支援のためにはもっと勉強しなきゃいけないし、世界を知って新しい取り組みを考えなきゃいけない。そう考えていたときに、周りの人たちがそうして動いてるのにはすごく触発されたとともに、自分も何かやらなきゃと駆り立てられるものがありました。
次に両親のことです。うちは両親がとても厳しかったので、私自身本当に自己肯定感が低く、周りが優秀だったのもあって、自分はできないしぱっとしないな、という思いとかコンプレックスが強かったんです。
でも、そこをどうにかはねのけたい、自分は変われると信じたいという思いがあり、それをまずは自分が、そして同じように苦しんでる人も支援したい、という思いを大学生くらいのときから持ってました。
なので、転職やら留学やらでいろんなところに出ていったときに、新しい自分の可能性に出会えているのが、単純に楽しかった。両親や社会に作られた「こうあるべき」みたいなところから、そうではない道を作り出せている、ということにワクワクしていたんだと思います。
3つ目は転職支援をしながら感じた葛藤・危機感です。転職支援をしていて本当に残念に思ったのが、転職理由がキャリアアップのためなどポジティブなもの以上に、「人間関係が嫌だ」「年収が低い」「残業が長い」といったネガティブ理由が圧倒的だったこと。私は、当時インテリジェンスが掲げていた「はたらくを楽しもう」というスローガンがものすごく好きでした。私自身ワーカホリックで、もちろん悩みはあるけれど、仕事も顧客も同僚も上司も大好きだったので、それこそはたらくを楽しんでいました。一方で担当する転職希望者を見ていたら、はたらくことを楽しめてない人ってこんなにも多いんだと実感することが多く、どうにか変えたいという思いはありました。こうした葛藤は、何かを起こそうとするエネルギーになったかと思います。
その他に、一番自分が挑戦的になるきっかけを与えてくれたのは、TeachForJapanという教育系のNPOに仕事を通じて出会ったことです。
まず、社会課題が日本にたくさんあることを知ったのがとても大きかったです。私は当時、NPOが何の略かも知らないくらい興味も知識もなくて、こんな一見平和で裕福な日本に貧困や教育格差など、さまざまな社会課題があることを知りませんでした。たまたまTeach For Japanとの繋がりを持って初めて、これだけ多くの社会課題があるっていうことを知って衝撃を受けたんです。
それで始めたのが、NPOやソーシャルベンチャーなどのソーシャルセクターとビジネスパーソンをつなげる活動です。ソーシャルセクターって社会に意義あることをやっていて、素晴らしい志を持ってる人たちがたくさんいる一方、人的・資金的リソースが足りてないんです。一方のビジネスセクターでは、転職支援での課題感にあったように、スキルはあるんだけど志を見つけられない人、働くを楽しめず悩んでいるビジネスパーソンたちがいます。dodaは100万人の転職者のデータベースを持っているので、ビジネスパーソンが彼らのスキルをまずはプロボノという形でNPOに提供するマッチング機会を創ったら価値があるんじゃないか、と思いついたのが当時のきっかけでした。私自身としても、プロボノとしてTeachForJapanを手伝い始めたときに、それまでは別に大したことないと思っていた人材紹介の営業として身につけた知識が結構役に立って、これは社会のためになるんだと自信を持てたのもあって、これを広めたら、はたらくことの意味を見出せる人が増えるだけでなく、社会課題解決につながるんじゃないかと。
当時のTeachForJapan代表の松田さんが同い年で、留学の時にもお世話になったんですが、とにかくパワフル。こういうのどうかなって言ったらその場でやろうと言って関係者に電話してすぐ始めるみたいな、そんな感じの人でした。それにもすごく刺激を受けましたね。
リソースのないNPOと志を見出したいビジネスパーソンを結びつけることが、社会課題解決と「はたらくを楽しもう」とを両方実現するし、自分のスキルってこうやって社会に役立てるんだって自信が持てる。「私がやりたいのはこれだ!」と思いました。
あの時、「これだ!」と思えるものを見つけられたのはとても大きかったなと思います。
その後、この活動を社内のリソースを使いながらもっと大きく展開していきました。NPOにとっても、大手人材会社がNPOのためにこんなに人材を無料で紹介してくれることは当時はほぼなかったので、NPOの方々にはとても感謝されました。
当時の私の上司が、私の人生の中でもこれ以上の上司は見つからないだろうなと思っているくらい素晴らしい人で、新しい活動もどんどんやれよと応援してくれていました。彼は死ぬほど忙しくて、1日に30分と空いてないくらい予定表が埋まっていたのですが、「おまえの企画したイベントどうなってる?」、「価値あるから予算出すよ」、「せっかくだからもっと大きくしてみたら?」、「いいよ、もっとやれ」と言って、規模を大きくしたりもっと挑戦したりすることを後押しし続けてくれました。マーケティングとしてROIが回るようにちゃんと設計はしていたんですが、社内のリソースを使ってNPOを支援するようなことって、わかりやすく単純に売上に直結するわけではないから煙たがる人もいたし、直属の上司は結構な意地悪を言ってきたりもして、全然楽ではなかったんですが、社内外に後押ししてくれる人や手伝ってくれる人がいて、どんどん広がっていきました。
営業時代は、営業が200人いて、その中でいつ一番になれるか、人と比較して勝つことばかりを追っていました。でも、その時、もう他人に勝つことではなく、自分がやりたいことや自分が助けたい人のために動くことがとても充実して幸せに感じるようになったのは、大きな意識の変化でした
自分のために挑戦するよりも、社会や誰かのために挑戦する方が私にとってはやりやすかったような気がするし、それに気づけた経験だったと思います。
バブソンに留学した理由・きっかけはなんでしたか?
留学のきっかけは、一番大きいのが2018年に参加したJWLI (Japanese Women’s Leadership Initiative)というボストンのファミリー財団・Fish Family Foundationが日本人女性向けに提供しているプログラムがあり、それに参加したことです。
毎年日本人女性を4人ほど連れてきて、1ヶ月間現地のNPOを訪問したりしながら、ボストンのフィランソロフィーとリーダーシップについて学ぶプログラムで、dodaでやっていたNPO支援の取り組みをアピールして応募したらプログラムに受かり、参加させていただくことができました。
応募したきっかけは、グローバルネットワークを持つTeachForJapanに関わるようになってから、海外の人と会う機会がゼロだったところから少しだけ増えたのをきっかけに海外に興味を持ち始めて、短期でいいからどうしても一度留学してみたいなと考えるようになっていたことですかね。
その後バブソンMBAに決めたきっかけは、JWLIの4週間の間にバブソン大学で女性のリーダーシップを学ぶ1週間のプログラムが含まれていたこと。そのプログラムがめちゃくちゃ良くて、もう一回戻ってきたいなと思ったのが一つと、もう一つはボストンのいろいろなNPOやスタートアップを訪問した中で、そこの女性リーダーたちが本当に素敵で刺激を受けたことです。
ずっと転職マーケットにいたのですごくよくわかるのですが、日本では40代を越えてキャリアをがらっと変える女性ってあまりいないし難しいじゃないですか。でもアメリカでは、40-50代になってから全く新しいキャリアにチャレンジする人が結構いるという事実に刺激を受けました。
服を見ても、日本だと歳を追うごとに黒や茶色など地味な色を選ぶようになるけれど、向こうでは60代や70代の人がピンクのワンピースを着たり生足でサンダルを履いたりしておしゃれを楽しんでいるんです。
そんな風に50代でもキャリア的に新しい挑戦をするし、60代でもおしゃれを楽しむような、アメリカの女性の生き方が日本のそれとは全然違うことに本当に衝撃を受けて、同時にもっとこんな生き方を知りたいし、自分のものにもしたいと思いました。
あとは、ボストンのイノベーションエコシステムに興味を持ったこともきっかけの一つです。色々なNPOやスタートアップに訪問して、セクター連携やNPO自体の経営の仕組みのレベルが日本と全然違うということに気づきました。イノベーションエコシステムのが独特で面白そうだなと思って、このバブソン、ボストンにもう一回戻ってきて学びたいと考えるようになりました。
私はNPOとビジネスを繋ぐ活動をもともとやってたので、異なる文化やセクターの人たちを繋いだりすることがそもそも好きで、そういう意味では、大企業とスタートアップ、多くの大学、NPOや行政の活動が入り混じるボストンのイノベーションエコシステムを学ぶのはすごく面白そうだと思ったんです。
何か人生でやりたいことを考えたときに、1回くらい留学に行きたいなと思う気持ちもありました。JWLIで1ヶ月行けばいいかなと思っていたのですが、抑えきれなくなっちゃって勉強を始めた感じでしたね。
会社を辞めて留学、すごい挑戦ですよね。どのように働きながら留学先合格を実現したのですか?
正直言うと当時はずっと迷っていて、迷いながらも英語の勉強は損にならないからって続けている…という状況でした。でも仕事も普通に忙しいし、体調も万全ではなかったし、明確な目標もないので集中しきれなくなっていました。やらなかったら後悔するとは思っていたから、徐々に勉強時間を増やして、行けたら行こうかなと考えていたところ、先ほどお話ししたTeachForJapanの松田さんに「そんな英語の点数じゃ、会社辞めてフルタイムで勉強するとかじゃない限り留学なんて100%行けないよ」と言われました。はっとしましたね。
たまたまそのタイミングで、「受験勉強中は時短でもいいから一緒に働かないか」と声をかけてくれたのが前職でした。そこに転職をして、3か月は時短でパートタイムの仕事を二つ、合わせて週に20時間働き、週50時間勉強する生活に切り替えました。年齢もあるからこれ以上伸ばしたくないし、これ以上受験勉強もしたくないし、でも諦めたくもないし、英語力ゼロからのスタートだったから圧倒的な時間が必要でした。仕事以外の時間を全て受験勉強に当てて、今年それで受かったら行く、受からなかったら諦めようと決めて臨みました。
でも、受かってからが大変でした。
まず、コロナ。2020年3月頭に合格通知をもらったのですが、ひどくなったのがその直後で、渡米できるか、渡米しても授業がオンラインになる可能性が高かったのでかなり悩みました。そして資金繰り。教育ローンでどうにかなるだろうと思っていたのですが、過去借金やローンなど問題があった訳ではないのに、審査が一つも通りませんでした。切り詰められるものは切り詰め、学校側の奨学金の増額を5回交渉し、それでも足りなかったので最終的にはクラウドファンディングをして学費を賄いました。120名もの人が私個人の留学を支援してくれたことは、金銭的支えのみならず大きな精神的支えになりました。留学生活が毎週泣くほど辛くても頑張れたのは、ここで友人や知人たちの支援があったからです。
今回は、「起業家教育No.1スクール卒業生たちの挑戦Vo.3(前編)」として、竹内麻衣さんのインタビュー記事をご紹介しました。如何だったでしょうか?次回後編では、MBA在学中の学びやその後の挑戦について伺っていきます。本サイトでは、「私も一歩踏み出してみよう」と思える、挑戦者の行動を後押しする記事をご紹介しています。
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Boston SEEDs は B-SEEDs LLC (Delaware, US) 運営のオンラインメディアです。”Entrepreneurship Mindset”のカルチャーを世の中に更に浸透させるべく主にボストン在住の現役の MBA 生がボランティアで活動運営しています。 Note