革新的な医療データプラットフォームの日本市場展開を牽引する日本人第一号社員。カントリーマネージャーが語る、挑戦と共に歩む医療革新。 起業家教育No.1スクール卒業生の挑戦 Vol.7

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自己紹介をお願いします

若林 昭吾(わかばやし・しょうご)と申します。
現在、TriNetX(トライネットエックス)という医療データプラットフォームを運営する企業で日本のカントリーマネージャーを務めています。

TriNetXは米国ボストンエリアのケンブリッジに本社を置き、世界20か国以上で医療データ活用のネットワークを運用しています。患者さんの匿名化されたデータを医療機関内に留めたまま、安全かつ各国のルールに準拠した形で製薬企業や病院、大学病院のリサーチャーに活用してもらうプラットフォームを運用しており、臨床研究や治験の効率化を通じて新しい治療法の開発に貢献しています。私はTriNetXが日本市場に参入するタイミングで入社し、日本の第一号社員として、日本でのビジネス展開を担ってきています。

個人としては、TriNetXのビジネスと並行して、今年の春から大学で「スタートアップ企業論」というアントレプレナーシップ教育の講師を務めています。

Boston-SEEDsでは、バブソン大学卒業生の挑戦の軌跡を読者の方にお届けしています。若林さんもバブソン大学を卒業されていますが、バブソン大学への留学のきっかけは何だったのですか?
バブソン大学への留学を決めたきっかけは、当時勤めていたコンサルティング企業での経験です。20代の間に流通小売り業界で新規事業や新規サービスの立ち上げに携わる中で、自分が関わったサービスを多くの方々が使って下さり、世の中を一歩前に進めているという実感に、多くのやりがいと面白さを感じました。そこで事業の創出について体系的に学びたいと思い、バブソン大学にMBA留学を決意しました。

バブソン大学での留学生活はどのようなものでしたか?そして、留学中はどのようなことに挑戦されたのですか?

バブソン大学での2年間は非常に有意義なものでした。特にバブソン大学MBAは当時1学年が160人程度で、同じボストンで大規模で知られるハーバード大学MBAの800人超に比べてかなり少人数で、同学年全員が顔見知りという規模感です。さらにバブソン大学は、アントレプレナーシップ教育に特化しているため、多様性の中にも根本的な志向を共有する仲間たちとの強い共感力を持つコミュニティで学べたことは非常に貴重な経験でした。

授業以外では、大学内のイベントでバブソン・アジア・アントレプレナーシップフォーラムのリーダーを務めました。当時、東アジアや東南アジア出身の留学生は少なく、アジア人の存在感が薄い状況でした。成長を続ける東アジアのビジネスや情報に興味を持つ非アジア圏出身のクラスメイトがいるものの、そうした情報を得る機会は限られていました。そこで、アジアに焦点を当てたフォーラムを開催し、200人程度のオーディエンスを迎えて盛況なイベントを実施することができました。

さらに、他の大学の留学生と一緒に、スタートアップの立ち上げ支援もおこなっていました。

卒業後にコンサルティング企業へ戻られた後に、新たな環境で新たな挑戦をする決断をされていますが、その決断の背景について教えてください

卒業後、私は留学前に勤務していたコンサルティング企業に戻り、ダラス、シンガポール、関西にて6年間、海外事業に従事しました。その間に会社の方針が変化しており、自社による新規事業より顧客企業のコンサルティングやシステム事業に経営資源を集中する方向にシフトしました。一方で私自身は新しい事業の構築に主体的に関わりたいという思いが強くなり、50人規模の日本のスタートアップに転職しました。そこでは独自のIoT技術を用いたスマートホーム事業を担当していましたが、結果としてその会社は解散することになりました。新規ビジネスは野心的であるほど、数としては成功より失敗の方がずっと多いものですが、早速スタートアップの世界の洗礼を浴びることとなったこの経験は、今思えば、スタートアップのリアルを感じ、長く大企業にいた自分のマインドセットを短期間で切り替える貴重なものでした。

再び挑戦する機会を探していたところ、オランダ本社の医療機器大手フィリップスが新規事業の責任者を探していることを知りました。正直なところ、医療・ヘルスケア業界に関わることはあまり想像していませんでしたが、医療機器というハードウェアビジネスを中心としたフィリップスがよりITを活用したヘルステック企業へと変革を進める中での、それを象徴する新規事業の日本事業の立ち上げという機会に魅力を感じ、入社しました。

フィリップスでは、自身のチームをゼロから構築し、医療情報システム事業に取り組みました。私が採用したチームメンバーは20人ほどで、その多くが電子カルテや医療情報のエキスパートや、看護師などのヘルスケア業界出身者で、責任者である私がヘルスケア業界が初めてという最も業界経験の浅い状況でした。

責任者である若林さんが他業界の出身という状況の中で、それを乗り越えることができた要因としてどのようなものが挙げられますか?

大規模な医療機関においては、数多くの診療科や部門が連携して患者さんの治療にあたるという特性や、医療の安全を確保するための様々なルール、そして診療報酬の算定といった独特の業務を行う必要があることから、そのITシステム(医療情報システムと呼ばれます)は電子カルテを中心として数十の周辺システムを接続した複雑なものとなっています。そのような環境で、フィリップスは1つのパッケージで幅広い領域を統合してカバーできる革新的なソリューションを日本に持ち込もうとしていました。

私が採用したメンバーは、営業やエンジニアリングなど、さまざまなバックグラウンドを持つクリティカルな専門家でした。そこで大切にしたのは、多様性でした。多様性とは、単に女性を多く採用する、さまざまな年齢層のメンバーで構成するといった、ともすれば表面的・形式的な多様性ではなく、ビジネスの成果を出すための多様性です。違うバックグラウンドを持つメンバーの力を結集し、お互いを尊重し合うことで、大きな新規事業の成功を目指しました。

フィリップスが私を責任者に選んだ理由の一つは、ヘルスケア業界未経験であることがむしろ業界の慣習に捉われずに新しい視点を提供できると考えたからです。私自身も、深い業界知識を持ったエキスパートの人たちの力を柔軟な発想で再構成することでチームの力を最大化することができると信じていましたし、実際にそのように機能したと感じています。

この時にヘルスケア業界に参入されたんですね。そこからTriNetXに入社するまでの経緯はどのようなものだったのですか?

フィリップスに入社して数年が経ち、チームが拡大し事業が進展する中で、日本の病院運営における新たな課題に気づきました。それは、日本の病院がITを使ってオペレーションを改善してきた一方で、生成されたデータ(リアルワールドデータ)の活用が欧米に比べて大幅に遅れているということです。世界のトレンドとしては、病院で実際に患者さんの臨床を行った結果として生成されるデータを活用して、治療法を開発・改善したり、より良いサービスを提供する取り組みが意欲的に行われてきています。しかし、日本ではこの分野での進展が相対的に遅れているように見えました。
このような状況の中、米国発の新興企業であるTriNetXが非常に革新的なプラットフォームを国際的に提供していることを知りました。TriNetXの仕組みでは、患者さんの個人情報を病院から出すことなく、世界中の病院をネットワークで繋ぎ、「分散型」と呼ばれる手法で2億人以上の患者データを解析することができます。つまり、匿名化されたものを含めて個人情報は外部に持ち出さず、研究者や企業がクラウドプラットフォームから解析したい内容を指示することで、世界中の病院内で解析を実施し、その解析結果のみを集めることが可能です。例えば、TriNetXの分散型のシステムを通じて、世界中の病院での似た特性を持つ患者さんに対する薬剤AとBの使用結果を収集し、これまでになかった大規模な研究を行うことができます。分散型の仕組みで各病院の最新のデータにアクセスできるため、新型コロナのパンデミックの際には多くの研究者がいち早く未知の疾患に対する理解を深め、多くの研究論文を発表することで、医療に貢献してきました。現在は新型コロナの後遺症に関する研究が活発に行われています。

この革新的なプラットフォームを日本に導入する依頼をTriNetXから受けた時、私の問題意識と非常にマッチしていると感じ、次の挑戦に取り組むことに決めました。これまでの私のキャリアは主にITを活用したサービスの開発とオペレーションの改善でしたが、そこから生成されたデータの活用という隣接領域に引っ越してきたという感覚です。

TriNetXの革新的なシステムを日本でビジネス展開するために、カントリーマネージャーとして入社されましたが、入社後に困難だったことは何が挙げられますか?

TriNetX入社後、最初の重要なチャレンジと考えていたのは日本市場での信頼獲得です。患者データというセンシティブな情報を扱う一方で、TriNetXは欧米では業界で広く知られているものの、日本では知名度が限られた海外の新興企業であり、信頼に足る事業者であると認識してもらう必要がありました。患者さんの命を扱う医療業界には保守的であらねばならない要素もあるため、新規参入の障壁が高く、TriNetXが日本の医療に提供できる価値と信頼性をしっかりと伝える必要がありました。この世界的にも唯一無二のネットワークは、実際に使用してもらえればその価値を分かっていただけると確信していましたので、そこに対する不安感を払拭さえすれば市場に受け入れられるという自信がありました。

イノベーター理論によれば、人口の2%はイノベーターと呼ばれ、革新性やビジョンに魅力を感じて最初に試してくれる人々です。次の10数%が良いものであれば新しいものを積極的に採用するアーリーアダプター、次にある程度社会に受け入れられていれば新しいものを受け入れるアーリーマジョリティが続きます。最後に、レイトマジョリティと呼ばれる、多数派が使用しているなら自分も使用するという人々がいます。このように、人々の新しいものに対する許容度は様々です。

私たちは医療情報の権威が集まる学会等で積極的に発信を行い、プラットフォームの先進性だけでなく、情報セキュリティやコンプライアンスに関して丁寧に説明を行い、信頼構築に努めました。同時に、日本の医学研究や病院経営、新薬の開発・導入といった課題にTriNetXが果たし得る役割に共感してくださいそうな、イノベーターやアーリーアダプターに該当する、革新的な考えを持つ病院、病院経営者の方々にコンタクトをとりました。その結果、いくつかの病院が日本の医療を先導できればという思いも込めて、最初に参画してくださいました。最初の壁を越える作業は理屈だけでは解決できない部分もありましたが、そこを乗り越えて事業が軌道に乗り始めた現在、この初期のチャレンジを乗り越えたことは大きな一歩だったと感じています。

今後のプランを教えてください。

TriNetXネットワークは日本市場で順調に拡大を始めていますが、今後の目標は、TriNetXのネットワークを活用した臨床研究とデジタル化により効率化された治験プロセスを日本の医療業界、つまり医療機関と製薬会社などのヘルスケア企業にしっかりと根付かせることです。
TriNetXのネットワークに病院が加入すると、医師・研究者は自分のパソコンから瞬時に2億人規模の匿名の患者データにアクセスして解析することができるようになります。病院はこのシステムを無料で利用できるのです。従来、研究者の課題となっていた、研究時間・資金・データへのアクセスといった制約を解消することによって医学研究が加速し、最終的には日本の医療水準の向上が期待できます。

例えば、コロナ渦では、明確な治療法が確立されておらず、どのような疾患かも不明確な状況でした。どの患者さんが重症化リスクが高いのか、どの薬剤が効果的かといった情報が錯綜し、社会全体が混乱していました。欧米では、当時すでにTriNetXのネットワークに数千の施設が参加しており、研究者達はリアルタイムに近い形で世界中の患者さんの診断、薬剤の効果やその予後を解析できる状況でした。しかし、当時日本にはこういったネットワークは存在していませんでした。このような状況にもTriNetXのプラットフォームは貢献できるため、今後数年で日本にしっかりと根付かせたいと考えています。

また、近年、ドラッグロスという言葉をニュースなどで目にした方もいらっしゃるかと思います。欧米と比べて低い薬価と高い承認コストが原因となり、海外で利用できるようになった新薬が日本に入ってこないという問題です。TriNetXは、データとプラットフォームの活用によって製薬企業の治験コストを下げ、ドラッグロス(日本に新薬が導入されないこと)の解消にも貢献できます。

リアルワールドデータを活用することで実現できる医療の進化の一つを紹介させてください。治験では、薬を投与する群とプラセボ(偽薬)を投与する群に患者さんを分けて行います。例えば、難病の患者さんが既存の薬では効果がないという状況に直面しているなかで、新たに治験が行われると仮定します。患者さんは藁にもすがる思いで治験に応募しますが、半数の患者さんにはプラセボが投与されてしまいます。リアルワールドデータをさらに進歩させて活用することで、このプラセボ群をデータで代替する試みが世界各国で行われています。治験でのプラセボ群の必要性は、標準治療を受けている患者さんのデータに依存するため、そのデータがあればプラセボ群は不要となり、全ての治験参加者への薬剤投与が可能となります。これにより、治験のコストも削減できます。

リアルワールドデータには社会をより良いものにできる大きなポテンシャルがあるため、まずはこのネットワークの普及に全力で取り組むつもりです。

また、一昨年から東工大のキャリアセミナーに招いていただいています。日本のスタートアップを取り巻く環境はここ10〜20年で大幅に改善されてきていますが、その魅力がまだ広く伝わっておらず、多くの学生さんが大企業でのキャリア形成だけを視野に入れているようです。もちろん大企業ならでは良さや、個々人の向き不向きはありますが、起業やスタートアップへの参画・就職を選択肢として検討しないのはもったいない。こうした背景を踏まえ、キャリア教育やアントレプレナーシップ教育をライフワークとしていくつもりです。

最後に、読者の方へメッセージをお願いします。

挑戦することによってしか得られないものはありますが、適切なリスク管理をせずに飛び込むことは必ずしも正しい選択とは限りません。私は、挑戦において重要な要素は二つあると考えています。それは「ライフステージ」と「エンプロイアビリティ」です。

まず、ライフステージについて。人生は常に同じステージに留まるわけではありません。結婚、出産、住宅ローン、子育て、介護など、ライフイベントによってリスクの許容度は大きく変わります。20代は失敗しても再挑戦しやすいですが、一般的に年齢を重ねるごとにリスクの許容度が低くなり、動きづらくなります。40歳前後でいわゆる「ミッドライフクライシス」に直面し、「自分の人生はこんなはずではなかった」となってからでは、遅すぎることはありませんが、なかなか大変です。ですから、いつリスクを取るべきか、そのタイミングを早めに考え始めることが大切です。

エンプロイアビリティとは、雇用される能力のことです。どこに行っても食べていけるだけのスキルや経験、そして自信を持っているならば、仮に挑戦が失敗しても元に戻ればいいだけの話です。エンプロイアビリティを高めることは、挑戦へのハードルを下げる非常に重要な要素です。

逆説的ですが、保守的にリスクについて深く考えてみることで、チャレンジが可能になるのではないでしょうか。挑戦に熱い思いは欠かせませんが、戦略的に進めることも同じくらい重要だと思います。

若林さんのリスクの許容度を高めた要素は何でしたか?

20代の頃、新規事業に携わるきっかけとして、ある会社に出向する機会がありました。このポジションは自ら手を挙げて得たものです。その後、自分の意思でバブソン大学に留学し、スタートアップや外資系企業で新規事業に取り組む道に進みました。自分が特別優秀だとは思いませんが、少なくとも自分のキャリアを自らの手で構築してきたという自負があります。
その結果、私の経歴は一貫しており、新規事業や関連する領域でのキャリアを積み重ねてきました。新規事業の立ち上げが自分の専門性となり、その経験があるからこそ、声をかけていただけるようになってきているのだと思います。一方、大企業に入社し、配属に流されてキャリアを人任せにしていると、自分の強みが形成されず、社内でしか通用しない、エンプロイアビリティが低い状態になってしまうことがあります。転職を勧めているわけではありませんが、自分のキャリアを主体的に考え、自らの手で築いていくことが、自分の希望に沿った方向での職業人生を可能にする強みを磨いていくことに繋がるのではないでしょうか。

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次回の記事もお楽しみに!

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  • Boston SEEDs運営

    Boston SEEDs は B-SEEDs LLC (Delaware, US) 運営のオンラインメディアです。”Entrepreneurship Mindset”のカルチャーを世の中に更に浸透させるべく主にボストン在住の現役の MBA 生がボランティアで活動運営しています。 Note

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