「留学」も「海外就職」も特別なことではない!アメリカ最高峰のPh.D.から電池業界に飛び込んだ研究者のマインドを学ぶ!アメリカで闘う挑戦者 Vol.1

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この記事は、アメリカで働く日本人にインタビューし、彼らの挑戦に迫るシリーズになっています。日本人でありながらアメリカで働くという大きな挑戦をしている方々へのインタビューを通じて、挑戦への向き合い方やそのマインドセット、困難をどう乗り越えてきたのかに迫ることで、この記事を読んでくださっている皆様が一歩踏み出す後押しとなればと思っています。

 

第1回目は、アメリカでPhD取得後、現地企業で働く成田海(なりたかい)さんにお話を伺います!

 

「留学」も「海外就職」も特別なことではない!アメリカ最高峰のPh.D.から電池業界に飛び込んだ研究者のマインドを学ぶ!アメリカで闘う挑戦者 Vol.1

ノーベル化学賞受賞者 Prof. M. Stanley Whittingham(リチウムイオン電池)との学会での写真

 

まずは自己紹介をお願いします!

成田海と申します。アメリカ・ボストンで、3D Architechという3Dプリンティング技術を用いて金属製品を設計・加工する企業を立ち上げ、現在CEOをしています。日本生まれ日本育ちで、大学の学部と修士は東京工業大学で修了しました。

材料・金属系を専門としていまして、2016年からカリフォルニア工科大学の材料科学科のPh.D.に進学しました。2021年に卒業して24M Technologiesというボストンにある電池の会社に入社し、今年1月から現職です。

 

カリフォルニア工科大学でPh.D.を取得しようと決めたきっかけは何ですか?

元々海外によく行っていたとかではなくて、学部の3年生ぐらいまでは日本から出たことがありませんでした。当時大学で、グループごとに実験結果を発表して、1位に選ばれたらマレーシアに行けるという授業があって、初めて海外に行きました。留学のきっかけは、そういった海外短期留学プログラムをいくつかやっていく中での出会いですね。ある時、韓国人留学生の友人とインターンでイギリスに行ったときに、その友人が「ここいいな、イギリスの大学院に行きたいな」と言ったのに結構なショックを受けたんです。すでに韓国から日本に留学している彼が、大学院はまた違う国に行くのか…と。フットワーク軽く、国を超えて進学先を選んでもいいんだっていうことを感じて、それがきっかけになったと思います。

 

カリフォルニア工科大学を選んだ理由は、やりたい研究をやってる研究室があったのと、大学としてサイエンスに力を入れていたのが魅力だったからです。理系のPh.D.課程だったので、給料も出ていました。

 

日本とアメリカで研究の環境やマインドの違いはありましたか?

 

研究環境や設備に関しては別にそんなに変わらなかったです。むしろ、場所によっては日本のほうが全然いいんじゃないかという感じもします。

 

マインド的な部分では、日本はあまり新陳代謝が良くないという印象です。教授、准教授、助教という順序になっていて、上の人が上がらないと自分も上に上がれない、みたいな年功序列があって、研究の方向転換のスピードが遅いんですね。

 

一方アメリカでは、Ph.D.が終わってすぐに自分の研究室を持つ人もいれば、数年挟んでから研究室を持つ人もいて、いつにしても新しい研究をできる環境が整っていました。国として新しい研究テーマが進みやすい制度になっているので、研究機関内でのサイクルが早いと思います。アメリカは良い意味でも悪い意味でも早くて、日本はいい意味でも悪い意味でも遅いというのはあるかと思います。

 

5年間の在学期間の中で一番印象に残ってることを教えていただきたいです。

 

研究者や理系Ph.D.は、やっぱり論文を出すのが仕事です。論文を出すときには、掲載先の雑誌がたくさんありまして、有名どころでいうとネイチャーサイエンス、セルなどの一流雑誌から、各分野の専門誌まで、グレードのようなものがあるんですね。

 

その中でどの雑誌に自分の論文を出すのかは、先生と相談して決めます。できるだけグレードの高い雑誌に出せた方が、自分のキャリアとしてもいいですし、いろんなところに名前が届くようになるというのがあるんですが、当時先生に「いや、君の論文だったら1つ下の雑誌に出すのがいいんじゃない?」とを言われたことがありました。でも、自分の中では、1個上の雑誌でいけると思うんだけどなと思っていたんです。

 

それで結構いろいろと議論して、他の先輩方にもいろんなアドバイスを聞いて、結局自分の希望していた高いグレードの雑誌に載ったんですが、その時に言われてなるほどと思った考え方があって、非常に心に残っています。その先輩から「君はよく、指導教員やほかの研究者を説得できたね」と言われたんですよ。いち研究者として自分の思っていることを合理的に話して、説得できて初めて、それが論文になるんだと。そのマインドセットに関する学びは大きかったですね。

 

「留学」も「海外就職」も特別なことではない!アメリカ最高峰のPh.D.から電池業界に飛び込んだ研究者のマインドを学ぶ!アメリカで闘う挑戦者 Vol.1

カリフォルニア工科大学PhD課程修了時の、指導教員Prof. Julia Greerとの写真

 

24M Technologiesで働こうと思った理由は何ですか?

進路選択としてまずあるのは、アカデミアに残るかインダストリーの方に行くかで、僕は就職、つまりインダストリーを選びました。ただ、僕は研究が好きなので、最終的にはアカデミアに戻るつもりでいます。

 

でも、卒業後そのままアカデミアに行く他の学生と同じようなルートをたどると、論文を何本出したとか、学会で賞を取ったとか、そういうところの競争になるんですね。それってめちゃくちゃつらいなと。

 

だったらそういう土俵で戦わずに、1回インダストリーに行って、社会で実際に求められることが何かを理解した上でアカデミアに戻れば、論文の本数で戦う世界ではなくなるだろうと思って、就職を選びました。

 

24M Technologiesでは、特に電池の研究・開発をしていましたが、電池って電気自動車などプロダクトがどんどん成長するのもあって、インダストリーのほうが進んでいるとも言える分野なんです。ただ、各電池会社は競合を意識するあまり、自社が何をしているかを一切公開してくれない。なので一度中に入ってみないとよくわからないだろうな、ということで、電池会社である24M Technologiesに勤めることを決めました。

 

インダストリーからアカデミアに戻るとき、インダストリーでの経験は評価されるものなのでしょうか?

 

日本と同じで、アメリカでも基本的には評価されないですね。いろんな先生から聞きましたが、一度出たら再スタートはゼロからになるよというお話でした。

 

でも、実際には評価につながる可能性はあると思っています。例えば、インダストリーで研究・開発を長年やっていて、その会社の研究所の近くに大学、例えばスタンフォードやバークレーがあって、学生との共同研究もよくやってます、そういう人が50歳、60歳ぐらいでそのまま教授になるみたいなのはありますね。

 

あとは、そんなにたくさんあるわけではないですが、2、3年から長いと10年ぐらいインダストリーをやって、もう1回ポスドクからやり直して、Ph.D.卒業生の人たちと一緒に競争するみたいなパターンもあります。

 

しかし結局、現実的にインダストリーでの経験を見てくれる評価軸があるかっていうと、正直ないです。ただ、現状ない分、自分がはじめて評価されたときに他に競合がいないわけですよね。それこそ戦わなくていい、自分しかそのポジションとる人いない、みたいになればちょうどいいよねと思ってます。

 

就職で日本に戻ることは考えなかったのですか?

 

実際、就職活動は、日本、アメリカ、ヨーロッパといろいろやりました。日本に関しては、僕は転職エージェントを通じて就活したんですが、すでにその時29歳で、特に何も言われず書類で落とされたりとか、面接でこれぐらいの年収欲しいですって言ってしまって落とされたりとかしましたね。直接LinkedInで連絡してつながりを持てた企業もありましたが、結局自分の裁量とか、最初にもらえるお給料とかを検討する中で絞られていきました。

 

あとは、バッテリーの会社の中でどのレイヤーの企業なのかも重視していました。まず、自動車会社とかがあって、電池をパックする会社があって、電池を作る会社があって、材料会社があってみたいな層になっていて、自分は真ん中あたりにいれば上も下も見れていいなと思っていました。最終的にはインダストリーの全部が見えることが魅力で、24M Technologiesにしようと決めましたね。なので、国がどうこうとかではなく、この企業がちょうどいいかなっていう選び方でした。

 

24M Technologiesでの経験を振り返って、苦労されたことは何かありますか?

 

特にないですね。実は今、日本語を使うポジションで雇ってもらっていたんですよ。24M Technologiesは日本のパートナーさんも多くて、そうなると英語でコミュニケーションするより、日本語でコミュニケーションした方が話しやすいですよね。そういう需要があって、日本語を話せるバッテリーエンジニアというポジションで入ったので、かなり楽にやらせてもらっていました。電池のことはもちろん研究レベルでわかっているので、仕事でもPh.D.の知識をそのまま使えました。

 

Ph.D.時代は、言語で苦労されることなどありましたか?

 

英語は大変でした。マジで先生何言ってるかわかんないし、スタディグループ作ってなんとかやってるけれども、プレゼンとかになると、すいませんこんな英語下手で…みたいな。

 

もう授業を聞いてもまったくわからないので、教科書を自分で読んだ方が早いってなって、ひたすら教科書で頑張って…みたいな感じでしたね。週に2回ぐらい徹夜して、何とかやってました。

 

24M Technologies時代に感じていた、ボストンで働くことのメリットやデメリットがあればお聞かせください!

 

ボストンは電池会社が結構多いんです。スタートアップもあるので、インキュベーター、アクセラレーター、VCもありますし、日本をはじめいろんな国の大企業がスポンサーとして何かしら関与しているのでそこと繋がれるとか、そういう機会がカリフォルニアに比べても多い印象はあります。

 

分野によると思いますが、ロサンゼルスは例えば航空・宇宙系なら強いですし、元々トヨタがいたのでそういう意味で日本の会社も複数います。ただ、投資するためとかパートナー探すために来てるかというと、そういうわけではない気がするんですね。逆にボストンは、事業のパートナーを探したりとか、そういう挑戦をするために来ている大企業がすごく多いと感じます。

 

あともう1つあるのは、ボストン周辺に電池会社がめちゃくちゃあるおかげか、毎週のようにスカウトの連絡が来るんですね。それがあるおかげで、僕はもし今の会社をクビになっても、どこかしら拾ってくれるところはあるんだろうっていう安心感があります。ビザが切れたら終わりなので、万が一の場合でもすぐに転職できるだろうという感触は、結構メンタル的な健康としてはいいですね。

 

これまでアメリカ以外も含めて振り返ったときに、自分のコンフォートゾーンを飛び出して、何か挑戦したなという記憶や経験はありますか?

 

人生を振り返って、僕自身、そんなに一般的なレールから外れてる感じはしていないんです。僕がやっていることは、ただ国が違うだけで、学部行って修士、博士行って就職してっていう、結構よくあるようなものだと思っております。

 

そういう意味では、例えばMBAの人たちなんかの方が大きな挑戦をしているなと感じます。仕事を辞めて渡米する、などの選択を自分で決めないといけないじゃないですか。それに比べたら、僕はよくあるレールの中で、ちょっと珍しいかちょっと挑戦っぽく見えるものを選んでる、それぐらいだと思ってるんです。

 

コンフォートゾーンの話に移ると、結構微々たるところだと思います。僕は英語が全然得意じゃないので、例えばマシンの使い方を聞きに、その人のオフィスに行って英語で話しかけるみたいなのも、結構ドキドキするんですよ。

 

最初の頃はそれをちゃんと逃げずにやるだけで、やってやったぞ!よく話せた!と達成感を感じていました。僕のコンフォートゾーンを飛び出す挑戦というのは、そういうことの積み重ねかなと思っています。

 

これまでのご経験を踏まえて、新しい一歩を踏み出すときに必要だと思うマインドや、ご自身で大切にされている価値観はありますか?

 

これはものすごくよく言われてることですけど「とりあえずやってみた方がいいよね」「やらないで後悔するよりやって後悔する方がいいよね」そういう価値観は持ってきたなと思います。誰かに英語で話しかけるとか、プレゼンをするとか、ピッチをするとか、ディスカッションを持ってくるとかいう小さなことから、海外大学院に行く、そう決めた後にいろんな人にアドバイスをもらいに行く、という大きな決断まで。

 

ネットで調べて出てくる情報もいくらでもあるにはありますけど、実際に話を聞くことで変わることもあると思うんです。なので、とりあえず聞いてみたりやってみたり、手を動かしてみたりっていうやった方が、なんだかんだ進むだろうなと思ってやってきましたし、実際そうやって進んできたなっていう感覚もありますね。

 

将来、何か挑戦しようと思ってることはありますか?

 

僕がこれからやっていきたいことは、大学レベルの研究から、それをスタートアップとして商業化させることです。それを踏まえて今やってることは、研究からスタートアップまでできたところを、いかに本当のプロダクションまで持っていくかという段階だと思っています。

 

将来的には1から100まで、自分1人で見れるような人になりたい。それもあって、スタートアップを自分で作って、アメリカで成功させられたらなと思っております。成功できたらお金も入るし、その先で教授として雇ってくれる学校があったら嬉しいな、それで日本に帰って、日本で技術の発展に貢献できたらなというのが、長期的な目標です。

 

「留学」も「海外就職」も特別なことではない!アメリカ最高峰のPh.D.から電池業界に飛び込んだ研究者のマインドを学ぶ!アメリカで闘う挑戦者 Vol.1

3D Architech創業者として、Career Fairでの写真

 

最後に、何かに挑戦したいと思いつつなかなか一歩踏み出せずにいる読者の方々へ、何か一言いただけますか?

 

とにかくやってみてください!これに尽きますね!!

 

少しメッセージを加えるなら、僕は青森に生まれて、親や親戚は別に東京の大学出たり、ましてや海外留学したりしているわけではなかった、そんな家庭に生まれました。公立の小中行って高校で受験して大学行ってアメリカ行って、気づいたら周りの人たちがみんな、親が医者だったり、なんか金持ちだったり、両親がPh.D.持ちだったり、そんな世界にひとりで入っている感じだったんです。

 

でも僕のようなところからでも、1個1個泥臭くやっていけば同じ場所まで進んでこられるわけですよね。カリフォルニア工科大学がいいかどうかとか、僕のキャリアがいいかどうかは、人によって価値観が違うので何とも言えないですが、少なくとも僕が個人で目指してきたところには、ちゃんとたどり着けた。なので、1個1個の積み重ねで、少ないものからでもやってみれば、長期的なゴールも十分目指せるんじゃないかな、と思っています。

 

今回は、「プロフェッショナルの挑戦Vo.1」として、成田海さんのインタビュー記事をご紹介しました。如何だったでしょうか?

 

なお、成田さんがCEOを務める3D Architech社では、現在(2023年3月)、日本支部またはリモートで働ける方を募集しています。ご関心をお持ち方は、是非以下の求人情報をご確認ください。

 

日本R&D支部(仙台)

材料系研究・開発リード – 宮城県 仙台市 青葉区 片平 – Indeed.com

材料系研究・開発における研究補助員 – 宮城県 仙台市 青葉区 片平 – Indeed.com

リモート

3Dプリンティング 材料系研究・開発 シミュレーションエンジニア – 東京都 港区 青山一丁目駅 – Indeed.com

 

本サイトでは、「私も一歩踏み出してみよう」と思える。挑戦者の行動を後押しする記事をご紹介しています。ご質問やご意見あれば、是非お問い合わせフォームをご活用ください!!記事が良かったらシェアをお願いします!

投稿者

  • Boston SEEDs運営

    Boston SEEDs は B-SEEDs LLC (Delaware, US) 運営のオンラインメディアです。”Entrepreneurship Mindset”のカルチャーを世の中に更に浸透させるべく主にボストン在住の現役の MBA 生がボランティアで活動運営しています。 Note

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