中途半端な自分から脱却!起業家教育No.1スクール卒業生たちの挑戦 Vo.1

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ついに始まりました!この記事は、起業家教育で29年連続世界No.1スクールであるバブソン大学(アメリカ・ボストン)のMBAの卒業生たちにインタビューし、彼らの挑戦に迫るシリーズになっています。MBAという大きな挑戦を経験し、卒業後もなお挑戦を続けている方々へのインタビューを通じて、挑戦への向き合い方やそのマインドセット、それをどう乗り越えてきたのかなどを共有することで、読者の方々の挑戦へのMotivationを刺激し、一歩踏み出す一つのきっかけを作ることができればと思っています。

記念すべき第1回目は、このメディアの運営メンバーの一人である 島口直大さん(なおさん)にお話を伺います!

中途半端な自分から脱却!起業家教育No.1スクール卒業生たちの挑戦 Vo.1

まずは簡単に自己紹介をお願いします!

なおです。大阪生まれ大阪育ちで、大阪の大学卒業後に、東京のベンチャーに入社しました。ちょうど時代のトレンドの変わり目で、その企業の事業自体の将来性はなかったのですが、ある程度の売上とキャッシュを持っていて、経営陣がそのキャッシュで他の新興ベンチャーへ投資をしようという決断をした、そういうタイミングで僕は入社しました。大卒で入社したのが2010年なんで、2022年の今ほど、スタートアップとかベンチャーとか言われてるときじゃなくて、まだちょっとベンチャーって怪しいよねみたいな雰囲気があった時代でした。

新入社員で入ったんでどこに配属されるかわからなかったんですが、入社半年で投資先の和歌山にある株式会社農業総合研究所という農業ベンチャーに移って、そこでキャリアを積みました。営業から始まって西日本の事業責任者になり、2016年にIPOして、新規事業副部長として携わり、2017年に退職をして、そこからボストンのバブソン大学にMBA留学をしました。

バブソン大学在学中には、日系企業、特に飲食店関係のアメリカ進出のコンサルティングをしながら、B-SEEDsという大学生・大学院生に対して、1万~3万ドルぐらいのお金を出すエンジェル投資家組合を形成してそこのプレジデントになりました。2019年に卒業後、P&Gでマーケティングリサーチャーとブランドマネージャーを兼任させていただき、シンガポールオフィスで主に日本のヘアケアマーケットを見ていました。2021年7月に退職をして、フリーランスとして、いろいろな会社のアドバイザーやお手伝いをさせていただきながら、2022年2月に株式会社語り路(かたりじ)を設立しています。日本のブランドをグローバルブランドにするために、マーケティングの力が必要だということに気づき、そのお手伝いとして何か事業ができるように今いろいろ動いています。

プライベートでいうと妻がおりまして、彼女はバブソン大学で出会ったクラスメイトです。外国人で日本語は話せません。子供はおりません。

 

今までいろんな挑戦をされてきたと思いますが、そのような「挑戦マインド」って、昔から持っていたものなのですか?

僕は昔から楽観的な性格なんですね。物事を突き詰めて考えて悶々とするというよりも、「とにかくやってみたら何とかなるでしょう!」みたいな感覚を持っています

昔から新しいことに好奇心旺盛で、小さい頃から鬼ごっこ的な新しい遊びを開発してみたり、学校内に新しいトレンドを作ろうと、色んな事に友達と取り組んでいたのが記憶に残っています。

挑戦という意味では、大学生のときに知り合いが飲食店経営を立ち上げて、僕は立ち上げ当初から、お店のコンセプト作りから人の採用までがっつりサポートさせてもらいました。当初のコンセプトは大失敗したのですが、そこから僕のコンセプトに変え、急成長。1年間で3店舗まで大きくしました。

なので、まずはその楽観性っていうところが一つ。

 

もう一つが実は、ある意味コンプレックスなんですけど…。今までずっと「リーダー」っていうポジションを取ってこなかったんですよね。ちょっとびびってたんですよ。例えば、中学生のときは学級委員長だったけど、学校全体の生徒会長には立候補しなかったんです。野球でもキャプテンじゃなくて、副キャプテンでした。高校でも文化祭の副委員長とか、最後の一歩になかなか挑戦してこなかったっていう自分自身へのモヤモヤがあって。

やっぱりどこかでやり切らないと死にきれないな、満足する人生にならないなって思いで、自分自身の過去を反面教師として、今、リーダー、経営者に挑戦しています

元々生まれ持った楽観性と同時に、自分から挑戦する環境を作り、マインドセットを変えていきました。ただ後半のマインドセットを変えるというのは、まだ徐々に徐々に広げていってるっていう感じです。

昔から石橋をたたいて渡るというか、やりたいことはできるけど責任は取らなくていいポジションを取ろうとするんですよね。そういう自分がよくないと気づきだしたのが27歳ぐらいのときで。そこから決意して、「やるんだったら自分がリーダーシップとってやる、自分がつらいことも一番やって、それで初めて本当に自分の力があるのかどうかって見極められる」そういう風に切り替えだしたんですよね。



「海外MBA留学」に至った背景は?なぜ海外留学、バブソン大学のMBAを選ばれたのですか?

ポイントとして、海外留学、MBA、バブソン大学と3つあって、実はそれぞれちょっとずつ違うターニングポイントが入り込んでいます。

まず海外留学という観点がなぜ生まれたのかは、大学のときの話に戻ります。大学のとき飲食店の経営とかやって、大学生活、授業などが結構おろそかになってたんですね。そんな中で3年生の終わりぐらいに、ゼミの先生から「何か飲食店とかやって自分のこと結構すごいと思ってるんやろうけど、そんなんだらしなくやってても、お前クズやからな」ってはっきり言われたんです。大学教授にですよ?笑えます。その時、むかついたって気持ちがなくて、逆に自分がちょっと自分自身に思ってること言われちゃったって思ったんですね。やっぱりそういう中途半端でだらしなくて、最終的なリスクを取らずいいとこだけ持っていく癖があるのが見抜かれていたんだと思います。

大学を出てスタートアップに入社して、正直飲食店をやっていたし、22歳だけどいろいろ成果を出せるだろうと思って入ったら、社会ってそんな簡単じゃなくて難しかった。先輩は顧客と商談をどんどん前に進めれるし、準備の大切さ、勢いだけでない思考の整理とか、、、そんな当たり前の事にすげーなと思ってました。そんな時、当時の会社の副社長(現在、社長)が社会のイロハを僕に教えてくれたんですね。
それまで、大阪の飲食店やクラブ、夜の遊びとかしか知らなかったのに、社会の仕組みとか、世界がこうなってるんだみたいなことを、その方がこんなちゃらんぽらんにいろいろ教えてくれたんですよ。僕は、世の中って広いなと単純に思って、同時に上には上がいるなって思いました。そして、いつかそのトップの人たちと、自分の力で勝負できるぐらいまで実力を上げたいなと思い始めたんです

中途半端な自分から脱却!起業家教育No.1スクール卒業生たちの挑戦 Vo.1

写真:株式会社農業総合研究所 東証マザーズ上場記念撮影

そうしているうちに、そのスタートアップがIPOを6年で達成して、当時僕は新規事業の企画部長になっていて、次のキャリアとして新しく立ち上がった香港の子会社の社長右腕をやるかと言われてたんです。当時まだ27歳だったんですけど、そのときに「これキャリアの転機だな」と思って色々考えたんですが、僕はやっぱり世界を見たかった。世界のトップでやってる日本人の考え方に触れたかったんです。それだったら、自分自身が海外に留学して、その人たちと同じような環境で時間を過ごすっていうことがまず大切なんじゃないか、そう思って海外留学を決めました。

 

次にMBAという観点ですが、実は「MBA」という言葉自体を知ったのが26歳のときで、僕のいたスタートアップに入ってきた転職者の方にお聞きしました。その人はロジカル思考で物事を語るタイプで、思考プロセスが他の人と違うなと思って理由を聞いたら、MBAの経験が生きているのかなと言われて、それで自分もやってみたいと思いました。

ここで海外留学、MBAが繋がって、その後バブソン大学ってなったのは、やっぱりアントレプレナー、起業家教育っていうところ。当時英語が全然できなかったので、時間をかけてしっかり英語を勉強して2-3年後にスタンフォードを目指すか、今すぐにバブソンでやるのかで、僕は今を選びました。理由としては、このあと起業しなきゃいけないから出来れば早くっていうのが決断のポイントでしたね。


その後、在学中に飲食店のコンサルやB-SEEDsの立ち上げに挑戦されたと思いますが、その具体的なストーリーをお伺いしたいです!

まず飲食店の方は、スタートアップにいたときの知り合いがボストンでラーメン屋さんをやっていて、ご挨拶に伺ったときに「今人手足りないから、よかったら手伝って」と言われたのがきっかけです。当時英語がダメダメだったので、とにかく成長させるためには、勉強だけじゃなくて実践が必要で、働く環境が一番レベルアップしやすいって誰かから聞いた記憶があったのでそれで始めました。
ただ実際やってみて、僕がちょっと麻痺してるのかもしれないけど、正直楽しいことだらけというか、あんまりつらいことはなかったです。もちろん矢面に立って、ニューヨークに高級和食屋さんを作りたい現地投資家に1億円の案件を締結してもらったり、ロサンゼルスのスイーツショップのジョイントベンチャーを作る案件を一人でコーディネートしたりしていましたが、苦労はなかったです。

おそらくそれは、もう既に出来上がってるラーメン屋に勝手にそういう案件が入ってきて、自分は従業員的な立場で動いていたから。要は、誰かが守ってくれるっていう環境があったからだと思うんですよね。だから環境が変わっても、そこまで自分が追い込まれるほどのチャレンジではなかった。結局、サラリーマン時代と同じ感じではありました。

一方で総合すると、B-SEEDsの方はいろいろ学ぶことが多くて。

元々始めたきっかけは、バブソン大学の教授であられる山川先生でした。バブソン大学ってアメリカの大学院ですが日本人の卒業生も多く、ファミリービジネスなどをされている資産家も多いんですよね、彼が、そんな日本人の卒業生と食事をされてるときに、「大学への寄付以外にも、バブソンに貢献できるような何かがあったら面白いね」みたいな話をされたらしく、そんな話を僕たちが入学したときに話してくれたんです。僕はそのときに、これはバブソンの環境と自分自身を成長させるすごくいいチャンスだと思いました。

バブソンには、アントレプレナーシップを学びに入ったんですが、ユニバーシティ(多数の学部がある大規模な総合大学)と比較するとカレッジ(学部が少なく小規模な大学)ってかなり小さくて、人数がいないんです。生徒がいないってことは、やっぱりそれだけ様々な機会も少ない。学びの機会やネットワーキング、資金調達とか含めて、いろんな面で狭いコミュニティだから、そもそも母数が少なくなってしまうんです。その代わり、お互い助け合う文化は他の大学より強いんですけどね。

その機会の母数を増やしてあげることが、この大学のためにインパクトがあるんじゃないかなって当時思っていて、山川先生に相談した上でやろうと思ったのが、B-SEEDsの原型、バブソンファンドでした。つまり、バブソンの在校生で今後アントレプレナーになる人にお金を出す組織です。いわゆる寄付だと、その寄付金をどこにアサインするかは大学に決定権があるんですよね。それだと助けたい学生に払われない可能性だってあるわけじゃないですか。だから、僕らのプライベートな組織で、僕ら学生たちの目線から、今ここに資金が足りないっていうところにダイレクトにお金が注入できる仕組みを作ったんです。

それが僕が1年生の秋ぐらい。それから結構いろいろ大変で…。

まず協力するよって言ってくれたメンバーが、2年生で3人、僕の同期(1年生)で4人いたんです。でも、ほとんどの人って面白そうで参加しただけで、責任を持って大変なことはしたくないんです。僕の副キャプテンの考え方と全く一緒なんですけど、これは普通なことだと思います。でも一方で、誰かがやらないとインパクトって生まれない、これもまた事実なんです。

僕は、責任を持って何か新しいもの、誰もまだ信じてない段階のものをどうにか苦労して作り上げたいという覚悟をもって来ました。ただ、ミーティングしてロジカルな回答が集まっても、そこからどうするという提案が弱く、結局何かアクション起こせるってことはなかったんですね。そうこうしてるうちに、みんなも興味が薄れてきて、最終的に2年生1人、僕含め1年生2人の3人になって、バブソンファンド初期案がなんとかスタートしたのが、その3ヶ月後ぐらいでした。それからいろいろ挫折もして、もちろんお金集めもまだしてないわけじゃないですか。冬休みに日本に自腹を切って帰って、山川先生のご紹介でお会いできる方に資金の打診しに行ったりしましたね。

お金はそんな感じで、あとは会社を作らなきゃいけないじゃないですか。やり方がわからなくて、マサチューセッツの法律事務所とか、JETRO(ジェトロ)にも聞いたりしたのですが、結局日本人の大学生が会社を作るなんて無理ですって言われました、ビザの規制なども勘案して。

そんな時、1年生から2年生にかけての夏休みで、たまたまラーメン屋さんのとあるプロジェクトでロサンゼルスに行ってたんですよ。ラーメン屋さんの本社はシアトルにあるんですけど、会計をやってるのがロサンゼルスにある事務所でした。その会計士さんの事務所で、僕は1人で間借りして前述したジョイントベンチャーのプロジェクト遂行のために働いていました。そうこうしてるうちに、会計士さんと仲良くなり、ある日、「僕でも会社って作れますかね?」って聞いてみたら、「作れるよ。」って言われて、「いや、作れるやん!」ってなりました。ネットとかだと中々正解にたどりつけないこともあるな、と。その会計士さんにいろいろ教えていただいて、今でもB-SEEDsの会計士はそこの会社さんにお願いしているんです。

そんな感じで、夏休みに1人で会社を作って、そのタイミングで資金集めの話もうまくまとまりました。夏休み終わる頃には、資金を27万ドルほどいただいて、やっと箱ができたんです。そこの段階に来ると、今までちょっと離脱気味だったメンバーがまた戻ってきだしました。多分、箱もできたし、お金もある、本当にこれ形になるんじゃないかっていうことをみんな思い始めたんですよ。それが僕の中で一つ嬉しい経験でしたね。共に歩んでくれた先輩・同期には感謝しかないです。

それでいよいよ何か活動しようと思い、ファンドっていうんだから投資候補者を見つけないと。どうやってみつける?学内でピッチイベントすれば良いじゃんと考えました。大学内で、大学と全く関係のない連中が大学の支援なしでイベントをするって、結構前例のないことだったので、それをどう乗り切るかっていうのが次の課題でした。実際、この2年後にやはり問題となり、ピッチイベントの組織は大学の公認組織として分離させています。大学の職員と話して、まず冬に1回目のイベント成功させて、そこで優勝した人に対して3万ドルのお金を出しました。ちなみにその最初の投資先が、今ではシリーズAで何十億円という資金調達するくらいの大きな会社になっていて、嬉しいですね。

中途半端な自分から脱却!起業家教育No.1スクール卒業生たちの挑戦 Vo.1

写真:第一回ピッチコンテスト優勝者と記念撮影

そんな感じで2回目のピッチイベントやって、そうなると学校でもあの日本人たちなんかやってるぜ、みたいに注目されてきて。僕はその段階で卒業だったので、ピッチイベントの運営とかは後輩に譲ってしまいましたが、今でも投資には関わっています。

振り返ると、一番つらかったのは1人でやってるときでしたね。お金を調達できるかもわからなかったし、会社作れるのかもわからなかった。全部不確実だったときに、1人で自分ができると思ったことを信じてやるのはつらかったですけど、でも僕はあの経験が欲しかったんだと思います


挑戦で得た学びは何だったと思いますか?

2つあります。

まず1つは、自分が信じたもの、それが誰かが喜んでくれるものであるのなら、やりきる。やり切って諦めなかったら、絶対何か形にたどり着く。ただし、常にそれは誰かのためになっていないと駄目、ということ。僕がファンドをやる初期の構想を周りに話したら、外国人の友達みんなが、「本当にいいね!」と言ってくれて、それでああこれはいけると思ったんですね。独りよがりなことをやっても仕方ないので、誰かのためになることに全力で取り組むのは大切だと思います。

2つ目は、なかなか当時の僕はできなかったし、今も意識してやっていることなんですけど、周りに頼るということ。なかなか周りに頭を下げるって、年を経てキャリアもついてくるとできないんですよね。でもそんなこと関係なくて、やっぱり周りに仲間がいるって素晴らしいこと。アイディアもたくさん出てくるし、動きもいろいろ広がる。周りを頼ったとき、その仲間と僕がプロジェクトに対してコミットメントしてる量ってもちろん違うと思うんですよね。でも、そういうものだっていうことをちゃんとわかって、その中でお互いがベストなパフォーマンスを出せる状態に持っていく。周りに頼るっていう状態を作る。これを、もっともっと活用すれば、もっともっと何かいろんなことができるなっていうのは、僕の中で大きな学びでしたね。

 

在学中に日本と違った環境の中で過ごすことによって、挑戦に対するマインドセットに変化はありましたか?

僕の挑戦のマインドセットは、あまり変わってないかもしれないです。元々挑戦したかったことだし、ずっとやろうという気持ちを持ってきたから、そこへの思いは変わリませんでした。ただ、自分が挑戦したことに対して、周りの支えがないとやっていけない。周りが、今いけるよとか、やってみたらいいじゃんとか言ってくれると、僕もできる気がしてきて、そこは日本にいるときとちょっと違いがありました

日本でもみんないいねって言ってくれるんですけど、いいねと言いつつも、どこか保守的。リスクとか、懸念点を伝えてくれるんです。

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写真:バブソン大学の同級生とアメリカンフットボール観戦

一方、僕が出会ったアメリカ人は、リスクのことはあまり話さずに、それよりも、こういうことが特に良かったよっていうことを話してくれるんです。その挑戦ってこういうインパクトがあるんじゃないかとか、こんなところが好きだなとか、僕の挑戦に対して強みを伸ばすようなフィードバックをしてくれるんです。それが無意識的に、僕に前に進む力をくれてるんだと思います。僕もポジティブなマインドで、もっとここを強めたらいいんだってこともわかってきて、もちろんできあがっていない不完全のものですが、それでも前に進もうという力をもらえてすごく助かりました。

日本型のフィードバックは当たってて正しいんですけど、この不確実なタイミングで、そんな正しいことを言われても仕方ないよね、と思ったりします。まだ始まってもないからそれを話しても仕方ないんじゃないかなって僕は個人的に思って。そういう意味では、アメリカ的なアプローチの方が、適切なんじゃないかなと思いました。

 

卒業してから、挑戦のマインドセットに何か変化はありましたか?

一つ一つやり遂げてきた実感があって、挑戦に対して自分がやってることは間違いじゃないんだという自信がつきました。大学院にいるときは正直「まだまだ上がいるから。失敗しても、まあ僕はそんなもんだから」みたいな感覚でいたんですね。それって謙虚でいいことだと思う反面、今思うとリスクヘッジだったんですよね。自分はこれぐらいやっておけばいいや、というマインドのリスクヘッジ。卒業後、そこのマインドセットは大きく変わりました。

これを変えてくれたのはP&Gです。マーケティング業界で有名、かつ中の人たちはめちゃくちゃ優秀で成長意欲がある会社なんです。僕はマーケティングリサーチャーとブランドマネージャーを兼任という特異な事例で、かなり激務だったんです。そんな中で、本当に一流の人たちと一緒に仕事をして、それなりのパフォーマンスを出してた自負があるので、その環境にいて「上には上がいるから」っていう言い訳をしてる自分って恥ずかしいなと気づきました。そこは僕も思い切ってマインドを変えて、「自分は一流のプロフェッショナルなんだ」というマインドで、途中で投げ出さないでやり切るべきだと。それをP&Gは教えてくれましたね。

挑戦へのマインドセットって意味では、昔はとにかくアクションを起こしてみる、MBAも飲食もB-SEEDSも、好奇心に基づいてとにかくやってみようみたいな感じでした。それが、P&Gを終えてからは、好奇心だけじゃなくて、挑戦するからには自信を持って、「世の中で最もインパクトを出すんだ」っていうところまでハードルを上げ切れるようになって。小さな成功を重ねながらも、目指すところはひるまずに大きく持った方が正しいんだっていうマインドセットに変わりました。

 

そのマインドセットは、成功を積み重ねてきた自信によって生まれたものなのか、そういう環境にいたから生まれたのか、どう思いますか?

僕が良いパフォーマンスを出したか出してないかっていうことももちろん大切なんですけど、それよりも、やりきったかやりきってないかだと思います。P&Gでは、一つ一つのプロジェクトを全部本当にやりきったんです。頭がよじれるぐらいまで考えて言葉を出して、それでもフィードバックをもらって、さらに磨いて。これを80%やってあとはいいや、みたいな感じだったのが昔の僕なんですよね。でもそれを一つも余さずやりきったっていうのが、多分今の僕の自信に繋がってるんだと思います。

中途半端な自分から脱却!起業家教育No.1スクール卒業生たちの挑戦 Vo.1

写真:P&G退職後、独立して最初の写真

 

挑戦を続けるモチベーションは何でしょうか?

一つは、貪欲にまだいけるって思ってる自分がいることですかね。自分自身のできる限界に挑戦しようとしています。今まで、ちょこちょこ段階を踏みながら挑戦をしてきている。そしてこれからもまだいける、みたいな感覚があるんですよね。

もう一つが、僕の中でまだ「野球部の副キャプテン」「文化祭実行副委員長」というポジション、あの自分から完全にアップデートされたって思えていないんです。それはやっぱりリーダーとして自分が何か作って、それにみんなで取り組んでいく経験がまだないからなんですよね。

結局、飲食店もお金を出していたのは僕の知り合いの方で、僕はどちらかというと参謀としていろんなアイディアを出しながらやっていただけで、1番の責任負わなきゃいけないお金まわりは、僕の知り合いがやっていたんです。

だからそういう意味で、僕はあのときの僕をまだ超えられてないんです。そこを超えたい、自分自身をアップデートさせたいっていうのがあるので、それが原動力になっているかと思います。

文化祭をやりたいんですよ。僕が文化祭実行委員長をやって、みんなで大きなものを作りたいんです。とにかくその経験が欲しくて仕方がなくて、ビジネスを文化祭だとしたときに、それを作れたら僕多分ね、普通にめちゃめちゃ泣くと思います。


最後に、これから挑戦する人たちに向けて一言いただけますか?

一言の前に、実は僕、今日誕生日で、節目のタイミングで今までの挑戦の棚卸みたいなことができてよかったなと思います。僕は35歳になったんですが、一つ皆さんには、年齢は関係ないっていうことを強く言いたいなと思ってます。

挑戦のマインドセットみたいなところは、いろんな方が同じようなことを言うだろうし、僕は言う必要もないかなと思っているのですが、やっぱり小さなことでもとにかくアクションを起こすっていうことは大切だと思います。

そのうえで、いくつになってもやりたいんだったらやったらいいと言いたい。以前ある方に、僕の今までの経歴を話して、今起業に挑戦していると伝えたら「じゃあ満を持しての起業ですね」って言われたんです。年齢やキャリア的にという意味だと思います。挑戦を励ますつもりで、その人は言ってくれたんだと思うんですが、僕はそれは違うだろうと思ってるんですね。

アメリカで、僕の知り合いが55歳で起業するといっていました。年なんて関係ないじゃんって思うんですよ。体力が落ちてくのは事実です、守るものも増える。でも、新しいことにチャレンジしたいのにそれは関係ないし、その挑戦を「満を持して」って言っちゃうと、それってプレッシャーになってしまう。満を持して的なビジネスしかやっちゃ駄目なんだ、創業社長でお金ないけど貫禄は出さないといけないんだ、みたいな。周りが無駄にその人の挑戦のハードルを上げちゃってると思うんですよね。
なので、皆さんの中に、歳や経歴とかあるから今更挑戦なんて恥ずかしいことできない、と思ってる人がいたら、何でもいいから本当に自分がやりたいことに絶対挑戦してほしいと思います。

あとは挑戦をしながら、周りにずっと還元し続けて欲しいです。僕も大切にしてることなんですけど、常に周りに自分のことをシェアしたらいいと思うんです。成功者じゃないと語っちゃ駄目だ、みたいな雰囲気は良くないと思います。だってそんなに待ってられないですよ。挑戦してる最中の人や、なんなら挑戦する前の人からでも学びがある。もちろん成功した人からその理由を探るのはすごくいいことだけど、成功しても途中でも挑戦前でも、周りに何か還元できることってあると思うんです。だから自分で挑戦しながらも、周りに対して何かしら還元していくこと。それはありがとうって一言でもいいし、自分が学んだことを周りに共有することでもいいし、何でもいい。とにかく周りにポジティブな還元をしていくっていうことは、続けていけば自分自身にとってもいいし、周りにもすごくいい影響を与えると思います。

今回は、「起業家教育No.1スクール卒業生たちの挑戦Vo.1」として、島口直弘さんのインタビュー記事をご紹介しました。如何だったでしょうか?本サイトでは、「私も一歩踏み出してみよう」と思える。挑戦者の行動を後押しする記事をご紹介しています。

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投稿者

  • Boston SEEDs運営

    Boston SEEDs は B-SEEDs LLC (Delaware, US) 運営のオンラインメディアです。”Entrepreneurship Mindset”のカルチャーを世の中に更に浸透させるべく主にボストン在住の現役の MBA 生がボランティアで活動運営しています。 Note

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